February 2521999

 雨はじく傘過ぎゆけり草餅屋

                           桂 信子

餅屋だから、そんなに大きな店ではない。店の土間と表の通りとが、そのまま地つづきになっているような小さな店を想像した。観光地に、よく見られる店だ。外は春雨。作者が店内で草餅を選んでいると、傘に雨粒を弾かせながら、草餅など見向きもせずに通り過ぎて行った人がいたというのである。雨を弾く傘ということは、コウモリ傘などではなくて、油紙を張った昔ながらの唐傘だろう。それもこの句の場合には、油紙の匂いがプンと鼻をつくような新しい唐傘が望ましい。草餅に春を感じ、通り過ぎて行った人の傘の音にも春を感じと、この句は春の賛歌に仕上がっている。外光的には暗いのだけれど、だからこそ、かえって春の気分が充実して感じられる。草餅は、大昔には春の七草の御行(母子草)を用いたとも聞くが、現在では茹でた蓬(よもぎ)を搗き込んで餅にする。子供のころに住んでいた田舎は蓬だらけだったから、草餅の材料には不自由しなかった。よく食べたものだが、草餅のために摘んだ程度で息絶えるようなヤワな植物ではない。こいつが大きくなると強力な根が張ってきて、引っこ抜こうにも簡単には抜けなくなる。農家の敵だった。草餅を見かけると、つい、そんなことも思い出される。『草樹』所収。(清水哲男)




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