February 2121999

 如月や日本の菓子の美しき

                           永井龍男

いものは苦手なので、めったに口にすることはない。が、たしかに和菓子は美しく、決して買わないけれど(笑)、ショー・ケースをのぞきこんだりはする。句は、ひんやりとした和菓子の感じを如月(きさらぎ)の肌寒さに通じ合わせ、その色彩の美しさに来るべき本格的な春を予感させている。見事な釣り合いだ。手柄は「和菓子」といわずに「日本の菓子」と、大きく張ったところだろう。「よくぞ日本に生まれけり」の淡い感慨も、ここから出てくる。観賞としてはこれでよいと思うが、ちょっと付言しておきたい。すなわち、私のなかのどこかには、このような美々しい句にころりとイカれてはいけないという警戒感が常にあるということだ。「日本」という表現に国粋感覚を嗅ぎ取るというようなことではなくて、美々しさの根拠を「日本」という茫漠たる概念に求めて、その結果がこのようにぴしゃりとキマる詩型への怖れとでもいおうか。私などが書いている詩では、とてもこのようなおさめかたは不可能である。このことは俳句という詩型のふところの深さを示すとも取れようが、他方では、曖昧さを自己消滅させる機能が自然と働く詩型だと言うこともできるだろう。かつて桑原武夫が「第二芸術」と評したのは、言葉を換えれば、こういうことからだったのではないかと思ったりもする。俳句はコワい。(清水哲男)




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