February 1421999

 辞すべしや即ち軒の梅を見る

                           深見けん二

家を訪問して辞去するタイミングには、けっこう難しいものがある。歓待されている場合は、なおさらだ。「そろそろ……」と腰を上げかけると、「もう少し、いいじゃないですか」と引き止められて、また座り直したりする。きっかけをつかみかねて、結局は長居することになる。酒飲みの場合には、とくに多いケースだ。自戒(笑)。句のシチュエーションはわからないが、作者は上手なきっかけを見つけかけている。「辞すべしや」と迷いながら、ひょいと庭を見ると、軒のあたりで梅がちらほらと咲きはじめていたのだ。辞去するためには、ここで「ほお」とでも言いながら、縁側に立っていけばよいのである。そしてそのまま、座らずに辞去の礼を述べる……。たぶん、作者はそうしただろう。こうした微妙な心理の綾をとどめるのには、やはり俳句が最適だ。というよりも、俳句を常に意識している心でなければ、このような「キマラないシーン」をとどめる気持ちになるはずもないのである。いわゆる「俳味」のある表現のサンプルのような句だと思う。『父子唱和』(1956)所収。(清水哲男)




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