February 1221999

 しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

                           与謝蕪村

明三年(1783)十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうち最後の作。枕頭で門人の松村月渓が書きとめた。享年六十八歳。毎年梅の季節になると、新聞のコラムが有名な句として紹介するが、そんなに有名なのだろうか。しかも不思議なのは、句の解釈を試みるコラム子が皆無に近いことだ。「有名」だから「自明」という論法である。だが、本当はこの句は難しいと思う。単純に字面を追えば「今日よりは白梅に明ける早春の日々となった」(暉峻康隆・岩波日本古典文學大系)と取れるが、安直に過ぎる。いかに芸達者な蕪村とはいえ、死に瀕した瀬戸際で、そんなに呑気なことを思うはずはない。暉峻解釈は「ばかり」を誤読している。「ばかり」を「……だけ」ないしは「……のみ」と読むからであって、この場合は「明る(夜)ばかり」と「夜」を抜く気分で読むべきだろう。すなわち「間もなく白梅の美しい夜明けなのに……」という口惜しい感慨こそが、句の命なのだ。事実、月渓は後に追悼句の前書に「白梅の一章を吟じ終へて、両眼を閉、今ぞ世を辞すべき時なり夜はまだし深きや」と記している。月渓のその追悼句。「明六つと吼えて氷るや鐘の声」。悲嘆かぎりなし。(清水哲男)




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