February 0821999

 春空に鞠とゞまるは落つるとき

                           橋本多佳子

(まり)とあるけれど、手鞠の類ではないだろう。私が子供だったころ、女性たちはキャッチ・ボールのことを「鞠投げ」と呼んだりして、我等野球小僧をいたく失望させたことを思い合わせると、おそらく野球のボールだと思われる。句の鞠の高度からしても、手鞠ではありえない。カーンと打たれた野球ボールが、ぐんぐんと昇っていく。もう少しで空に吸いこまれ、見えなくなりそうだなと思ったところで、しかし、ボールは一瞬静止し、今度はすうっと落ちてくる。春の空は白っぽいので、こういう観察になるのだ。それにしても、「鞠とゞまるは落つるとき」とは言いえて妙である。春愁とまではいかないにしても、暖かくなりはじめた陽気のなかでの、一滴の故なき小さな哀しみに似た気分が巧みに表出されている。昔の野球小僧には、それこそ「すうっと」共感できる句だ。「鞠」から「ボール」へ、ないしは「球」へ。半世紀も経つと、今度は「鞠」のほうが実体としても言葉としても珍しくなってきた。いまのうちに注釈をつけておかないと、他にもわからなくなりそうな句はたくさんある。俳句であれ何であれ、文学に永遠性などないだろう。いつか必ず「すうっと」落ちてくる。(清水哲男)




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