January 2911999

 洋蘭の真向きを嫌うかぜごこち

                           澁谷 道

者は内科医。病人一般の心理には通暁している。しかし、この場合の「かぜごこち」は作者本人のそれだろう。風邪気味の身には、洋蘭の重厚な華やかさが、むしろ鬱陶しいのだ。だから、自分の真正面に花が相対することを嫌って、ちょっと横向きに鉢をずらして据え直した。そんなところだろうが、この気分はよくわかる。発熱したときには、元気なものや華やかなもののすべてがうとましい。どんなに好きなテレビ番組でも、見たくなくなる。風邪の症状は一時的だから、直ればそんなこともケロリと忘れてしまうのだけれど、長患いの人の憂鬱はどんなに深いものだろうか。ましてや老齢ともなると、鬱陶しさは限りない感じだろう。鉢植えの花にせよ、テレビ番組にせよ、なべてこの世の文化的産物は、病人向けに準備されたものではない。享受する人間が元気であることが、前提とされ仮定された世界だ。考えてみれば、これは空恐ろしいことである。最近でこそ、病人や高齢者など「社会的弱者の救済」が叫ばれるようになってはきたが、この言葉や行為そのものに含まれる「元気」もまた、本質的には鬱陶しさの種になりやすいのではあるまいか。『紫薇』(1986)所収。(清水哲男)




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