January 1911999

 白菜やところどころに人の恩

                           阿部完市

んだろうね、これは。どういう意味なのか。阿部完市の句には、いつもそんな疑問がつきまとう。でも、疑問があるからといって、答えが用意されているような句だとも思えない。そういうことは、読み下しているうちにすぐにわかる。そのあたりが、好きな人にはこたえられない阿部句の魅力となっている。この白菜にしたところで、どんな状態の白菜なのか。作者は何も説明しようとはしていない。要するに、単なる「白菜」なのだ。「人の恩」についても同断である。そこで妙なことを言うが、この句の面白さは「ねえねえ、白菜ってさァ、見てるとさァ、だんだんこんな感じになってくるじゃんよぉ……」という女子高生みたいな口調の感想に集約するしかない、そんなところにあるのだと思う。白菜か白菜畑か、見ているうちに作者はふと「人の恩」というものに、たしかに白菜に触発された格好で思い当たったのだ。その確かさを、直裁に読者に伝えようとしている。同じ冬の野菜でも、対象が大根や人参であったとしたら、たぶん「人の恩」には行きつかなかっただろう。……などなどと、読者に数々の素朴な疑問を生じさせておいては、結果的には句のようであるとしか思わせない説得力が、一貫して阿部句の方法の中核にはある。『阿部完市全句集』(1984)所収。(清水哲男)




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