January 1411999

 縄とびの寒暮いたみし馬車通る

                           佐藤鬼房

の日の夕方。ちゃんちゃんこを着た赤いほっぺの女の子が、ひとり縄跳び遊びをしている。そのかたわらを大きく軋みながら、古ぼけた馬車が通っていった。女の子も無言なら、馬車の男も無言である。いかにも寒々とした光景だ。が、田舎育ちの私には、いつかどこかで見たような懐しくも心暖まる光景に感じられる。この光景には、たしかに寒気は浸みとおっているけれど、人の心には作者も含めて微塵の寒々しさもない。この句を、ことさらに作者の貧困生活と結びつけて解釈するムキもあるようだが、私は採らない。昔から繰り返されてきたであろう同一のシチュエーションを、それこそことさらにこのように詠むことで、作者はこのときむしろ貧困などは忘れてしまっている。田舎のごく普通の光景に、ふっと溶け込んでいるというのが、句の正体ではあるまいか。古ぼけた馬車と縄跳びの女の子は、いつに変わらぬ我が田舎の冬場の象徴として置かれているのであり、その永遠的な存在感は我が個的な事情を楽々と越えているのだ。たとえば「あなたの田舎はどんなふうですか」と問われて、率直に答えるときのサンプル句のようだと言っても言い過ぎではあるまい。そんなふうに、私には思える。『夜の崖』(1955)所収。(清水哲男)




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