January 1311999

 亡きものはなし冬の星鎖をなせど

                           飯田龍太

は「さ」と読ませる。若き日の龍太の悲愴感あふれる一句。「亡きもの」とは、戦争や病気で逝った三人の兄たちのことであろうが、その他の死者を追慕していると考えてもよい。天上に凍りついている星たちには、いつまでも連鎖があるけれど、人間世界にはそのような形での鎖はないと言うのである。「あってほしい」と願っても、しょせんそんな願いは無駄なことなのだ。と、作者はいわば激しく諦観している。よくわかる。ただ一方で、この句は二十代の作品だけに、いささか理に落ち過ぎているとも思う。大きく張った悲愴の心はわかるが、それだけ力み返っているところが、私などにはひっかかる。どこかで、俳句的自慢の鼻がぴくりと動いている。意地悪な読み方かもしれないが、感じてしまうものは仕方がない。厳密に技法的に考えていくと、かなり粗雑な構成の句ということにもなる。そして、表現者にとって哀しいのは、若き日のこうした粗雑な己のスタイルからは、おそらく生涯抜け出られないだろうということだ。このことは、私の詩作者としての限界認識と重なっている。俳壇で言われるほどに、私は龍太を名人だとは思わない。名人でないところにこそ、逆にこの人のよさがあると思っているし、作者自身も己の才質はもとより熟知しているはずだ。『百戸の谿』(1954)所収。(清水哲男)




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