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January 0511999

 初詣一度もせずに老いにけり

                           山田みづえ

語にもなっているが、女礼者(おんなれいじゃ)という言い方がある。単に礼者といえば、年頭の挨拶を述べにくる客のことだ。が、わざわざ「女礼者」と呼んだのは、とくに昔の主婦の三が日はそれこそ礼者の応対に追われて挨拶まわりどころではないので、四日以降にはじめて外出し、祝詞を述べに行くところからであった。したがって、元日の初詣に、まず行ける主婦は少なかった。おそらく作者のように、一度も初詣に行かないままに過ごしてきた年輩の女性は、いまだに多いのではなかろうか。句の姿からは、べつにそのことを恨みに思っていたりするようなこともなく、気がついたらそういうことだったという淡々たる心境が伝わってくる。そこが良い。かくいう私は男でありながら、一度だけ明治神宮なる繁華な神社に行ったことがあるだけで、後にも先にも、その一度きり。人混みにこりたせいもあるけれど、あのイベント的大騒ぎは好きになれない。淑気も何もあったものではない。もとより私の立場と作者とは大違いだが、そんなところに作者が行けないでいて、むしろよかったのではないか。この句に接してふと思ったのは、そういうことであった。「俳句」(1999年1月号)所載。(清水哲男)


January 0812011

 子の祈り意外に長き初詣

                           小川龍雄

供の頃の初詣の記憶は定かでない。近所のお稲荷さんにちょこちょこ手を合わせていたことは覚えているが、思い出すのは狐の顔と首に巻かれた赤い布が恐かったことぐらいだ。それはきっと、初詣といっても言われるままに形だけ手を合わせ、わけも分からず頭を下げていたからだろう。お願い事をする、というのは良くも悪くも欲が生まれるということで、成長のひとつといえる。この句の「子」は成人男子、父と二人の初詣か。家族の健康と仕事の事少々、くらいを願って顔を上げた父は、目を閉じてじっと手を合わせている息子の横顔をしばし眺めている。願うというよりは祈るような真剣なその横顔に、一人前の男を感じている父。意外に、という主観的な言葉には、父親としての感慨と同時にいくばくかの照れが感じられてほほえましくもある。同人誌『YUKI』(2010年冬号)所載。(今井肖子)


December 28122011

 てっさてっちり年を忘れる雑炊や

                           阿部恭久

の鍋料理は各種あって、それぞれの味わいがある。鍋を囲んでの団欒に寒さも吹っ飛んでしまう。特に冬が旬のアンコウやカモもいいけれど、やはりフグが一番か。フグで年忘れとは豪儀なものだ。「てつ」は関西では「フグ」を意味するから、「てっさ」は「フグ刺」。「てっちり」は言うまでもなく「ちり鍋」つまり「フグ鍋」。「てつ」は「鉄砲」で、毒に当たれば死ぬということ。今はフグを食べる誰もが「鉄砲」も「毒」も本気で意識はしないだろうが、昔は美味と毒とが隣り合っていてスリリングではあれ、とても「年を忘れる」どころではなかったかもしれない。フグは「少々しびれるくらいでないとアイソがない」とうそぶく御仁もたまにいらっしゃる。 今冬、毒を除去しないフグを売って営業停止になった上野の大手魚屋さんがあった。落語の「らくだ」になってしまってはたまらない。もちろん、今でも油断はできない。掲句は刺身から雑炊に到るフグのフルコースで年を忘れるというわけだから、来年はきっといいことがあるでしょう。恭久の「食ふ輩」十句には「蕎麦で越し餅を食ひけり詣でけり」「大寒や但馬牛来たり食ひにけり」など食欲旺盛な句がならぶ。「生き事」7号(2011)所載。(八木忠栄)


January 0712012

 生きている人がたくさん初詣

                           鳴戸奈菜

の句には昨年、年が明けてほどなく出会った。とても印象深かったのだが一月も半ばになっていて、初詣の句を鑑賞するには遅すぎるだろうから来年の一句目はこの句で、と決めたことを記憶している。父が亡くなって一年と少し、たくさんの生きている人、を実感している作者に共感したのかもしれない。初詣の人混みを、生きている人がたくさん、と言う作者に、何人ものかつて生きていた大切な人の影を色濃く感じたのだった。そしてさらに一年が経ち、あらためてこの句を読むと、生きている人がたくさん、の言葉は、素直に人間の生命力なのだとも思える。読み手は常に生きている人、生き続ける俳句とはいったい、などと考えもする年頭である。『露景色』(2010)所収。(今井肖子)


January 0212016

 豆味噌つまみて二日の夜になり

                           鳥居三朗

知県生まれの作者にとって、豆味噌は故郷の味だったのか。そうは一度にたくさん食べられるものでもない豆味噌、つまむ、は、お酒のあてにしている感じもするし、重箱の隅のそれをちょこちょこ楽しんでいるとも思え、二日の夜、がまたちょうどよい頃合いだ。この句の調べは、四四四五、集中の一句前に〈おみくじからから吉吉初詣〉という句もあり、いずれもひとつひとつの言葉が破調のリズムと相まって心地よい軽みを生んでいる。〈地球より外に出でたし春の夜は〉。春を待たずに一人旅に出てしまわれた作者だが、今頃遥か彼方の地で楽しい時間を過ごしているに違いないと思えてくる。『てつぺんかけたか』(2015)所収。(今井肖子)




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