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January 0111999

 元日や手を洗ひをる夕ごころ

                           芥川龍之介

日に晴朗の気を感ぜずに、むしろ人生的な淋しさを感じている。近代的憂愁とでも言うべき境地を詠んでおり、名句の誉れ高い作品だ。世間から身をずらした個としての自己の、いわば西洋的な感覚を「夕ごころ」に巧みに溶かし込んでいて、日本的なそれと融和させたところが最高の手柄である。芭蕉や一茶などには、思いも及ばなかったであろう世界だ。ただし、芥川の手柄は手柄として素晴らしいが、この句の後に続々と詠まれてきた「夕ごころ」的ワールドの氾濫には、いささか辟易させられる。はっきり言えば、この句以降、元日の句にはひねくれたものが相当に増えてきたと言ってもよさそうだ。たとえば、よく知られた西東三鬼の「元日を白く寒しと昼寝たり」などが典型だろう。芥川の作品にこれでもかと十倍ほど塩だの胡椒だのを振りかけたような味で、三鬼の大向こう受けねらいは、なんともしつこすぎて困ったものである。「勝手に寝れば……」と思ってしまう。そこへいくと、もとより近代の憂いの味など知らなかったにせよ、一茶の「家なしも江戸の元日したりけり」のさらりと哀楽を詠みこんだ骨太い句のほうが数段優れている。つまり、一茶のほうがよほど大人だったということ。(清水哲男)


January 0112000

 星屑と云ふ元日のこはれもの

                           中林美恵子

日の句は多々あれど、じわりと心に染み入ってくるような美しい句はそんなにあるものではない。どことなくクリスマスの余韻を引きずっているような雰囲気もあるが、元日に「こはれもの」をそっと重ね合わせた発想は素晴らしい。しかも、スケールはとてつもなく大きいのだ。作者も着想したときには、きっと「やったア」と思ったでしょうね。うむ、年頭にこの一句を据えられたことで、当ページの未来は開けたも同然だ。……というほどに、気に入ってしまった。いま出ている角川版歳時記の一つ前のバージョンで見つけた句だ。ところで掲句とは関係ないのだが、実作者の方々に一言。近着の俳句雑誌で「紀元2000年」と表記した句を散見する。むろん「西暦紀元」の意だとはわかるが、私はこの表記に賛成しない。というのも、日本では戦前戦中に「紀元」というと、すべてが「皇紀」として認識されていたからだ。「皇紀」は1872年(明治5年)に、国家が神武天皇即位の年を西暦紀元前660年と定めたものだ。この物差しに従うと、今年は「紀元2660年」という勘定になる。いまでも、一瞬「紀元」即「皇紀」と反応する人は大勢いるので、厭な時代を思い出してしまうことにもなる。加えて、後世の人が「西暦紀元」なのか「皇紀紀元」なのかと混乱する危険性は十分にあり、当の作者にしても「歴史に無知な俳人だ」と、いらざる誤解を受けかねないからでもある。(清水哲男)




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