December 15121998

 夜の霜いくとせ蕎麦をすすらざる

                           下村槐太

戦の年、師走の作。食料難時代。寒い夜に、蕎麦すらも簡単には「すすれなかった」のだ。晦日蕎麦なぞ、夢のまた夢であった。半世紀前の国民的な飢えを、いまに伝える一句である。ところで、この句が生まれた現場に立ちあっていた人がいる。後に『定本下村槐太句集』(1977)を編纂することになる金子明彦だ。「昭和二十年十二月、大阪玉造の夜の句会の席であった。私は十八歳で、いくらか年長の友人とともに、戦後急速に再開されはじめていたあちらこちらの句会を荒らしまわっていた。老人ばかりの句会に丸坊主の少年の私らが乗り込んで、高点をさらうのであった。そういう友人が案内してくれた句会で、私たちが行くともうすでに五、六人が集まっていた。(中略)やがて警防団の制服を着た長身の男がおくれて入ってくると、正面にどっかとすわった。(略)不遜で生意気だった少年の私にも、傲然として見えた。やがて被講がはじまって、選句のさい私が瞠目して選んだ句が読み上げられると、その男は低い声で「クワイタ」と名乗った。永かった戦争がすんだばかりである。(略)大阪玉造駅周辺は、そのころいちめんの焦土であった。街燈はなく夜は暗く、寒さが身にしみた。『いくとせ蕎麦をすすらざる』というなにか哀しみか、歎きにも似た切実な思いが、私のこころをとらえて離れなかったのである」。(清水哲男)




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