G黷ェリの葉句

December 12121998

 老木のふっと木の葉を離しけり

                           大串 章

句に「ふと」という言葉はいらない。「ふと」が俳句なのだから……。そう言ったのは上田五千石だったが、その通りだろう。しかし、この場合には「ふっと」が必要だ。「ふっと」の主体は俳人ではなくて、老木だからである。老木から一枚の木の葉が落ちてくる様子に、作者は「ふと」この老木が人間のように思え、彼が「ふっと」葉を手離したように見えたのである。実によく「ふっと」が利いている。「ふっと(ふと)」は「不図」であり、図(はか)らずもということだ。老木は、おのれの意志とはほぼ無関係に、図らずも葉を離してしまった。必死に離すまいとしていたのでもなく、離してもよいと思っていたわけでもない。「ふっと」としか言いようのない心持ちのなかで、葉は枝を離れていったのだ。作者が「ふと」老木を擬人化した効果も、ここで見事に出ている。私などが思うのは、人間も齢を重ねるに連れて、このように「ふっと」手離してしまうものが確実にあるだろうなということだ。一度離した木の葉は、もう二度と身にはつかない。戻ってはこないのである。そういうことは知りながら、やはり「ふっと」手離してしまうのだ。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


November 13112000

 落葉降る天に木立はなけれども

                           辻貨物船

葉、しきり。といっても、作者は木立のなかを歩いているわけではない。ごく普通の道に、どこからか風に乗って次から次へと落葉が降ってくるのだ。さながら「天に木立」があるように……。詩人・辻征夫の面目躍如の美しい句である。作者のいる場所は寒そうだが、読者には暖かいものが流れ込んでくる。「なけれども」は「あるように」とも言えるけれど、やはり「なけれども」と口ごもったところで、句が生きた。なんだか、本当に「天に木立」があるような気がしてくるではないか。技巧など弄していないので、それだけ身近に詩人の魂の感じられる一句だ。ちょっと似たような句に、今井聖の「絶巓の宙に湧きくる木の葉かな」がある。「絶巓(ぜってん)」は、山の頂上のこと。切り立った山なのだろう。作者はそれを見上げていて、頂上に湧くように舞い上っている落葉を眺めている。落葉している木立は山の背後にあって、作者の位置からは見えていない。見えていると解してもよいが、見えていないほうが「湧きくる」の意外性が強まる。木立は「なけれども」、その存在は「木の葉」の様子から確認できるととったほうが面白い。切れ味のよい力感があって、素晴らしい出来栄えだ。両者の違いは、ともに木立の不在を言いながら、辻句はいわば「夢の木立」に接近し、今井句は「現実の木立」に近づいているところだ。相違は、詩人と俳人の物の見方の違いから来るのだろうか。井川博年編『貨物船句集』(2000)所収。(清水哲男)


November 26112008

 木の葉降り止まず透明人間にも

                           望月昶孝

格的な冬の訪れである。木の葉があっけなく降るがごとくに盛んに散っている。地上に降る。つまり地上に住むわれら人間に降りかかってくる。それどころか、じつは私たちのすぐ傍らにいるかもしれない透明人間にも、降りかかって止まない。透明人間ゆえに、木の葉は何の支障もなく降りかかっているにちがいない。ものみな透けるような時季に、懐かしい響きをもつ透明人間をもち出したところに、この俳句のおもしろさと緊張感が立ちあがってきた。透明人間の存在そのものが、それとなく感じられる冬の訪れの象徴のように思われる。いや、この季節、人々は着ぶくれているけれども、それこそ透け透けの透明人間になってしまっている、と作者はとらえているのかもしれない。葉をなくしてゆく樹木も、次第に透き通ってゆくように感じられる。「木の葉降り止まず」で想起されるのは、加藤楸邨の名句「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」である。作者には、おそらく楸邨の句も意識のなかにあったと思われる。両句は「透明人間」と「いそぐないそぐなよ」がそれぞれのポイントになっている。昶孝には「地虫出づ兵馬俑を引き連れて」の句もある。昶孝は詩人で、詩人たちの「ハイハット句会」のメンバー。俳号は暢孝。「長帽子」70号(2008)所載。(八木忠栄)


January 2612014

 遥かなる瀬戸の海光探梅す

                           小尻みよ子

梅は、宋代の漢詩に使われて以来、連歌、俳諧に用いられるようになった晩冬の季語です。つぼみのなか、梅の開花を探しに行く、風雅な冬のお散歩です。掲句(平成11年作)は、遥か向こうに瀬戸内の穏やかな海の光を見て探梅しているので、のどかな丘陵でしょう。ところで、平成12年作に「海望む吾子の墓所や木の葉降る」があり、「瀬戸の海光」は亡き息子がつねに見続けている遥かな先であることがわかります。1987年5月3日午後8時15分、兵庫県西宮市にある朝日新聞阪神支局に侵入した目出し帽の男が散弾銃をいきなり発射、支局員だった小尻知博記者(当時29歳)が命を奪われました。「未解決今日もあきらめ明日を待つ」「知博に会いに行く道今日も過ぎ」「おもいだす地名も辛し西宮」。句集前半の84句に季語はほとんどありません。それが、平成5年作「夢叶はざりし子の忌近づく雉子の声」同6年作「来し方をゆさぶる真夜の虎落笛」と、季語を読み込むことで句に変化が現れてきます。決して忘れることのできない不条理な悲しみを、季語が共鳴しているようです。「探梅す」の掲句にいたっては、ややもすると内向きになりがちな気持ちを外に向かわせてくれている作者の心持ちをたどることができます。季語が、前向きに生きる応援をしています。なお、句集の中で特筆したいのは、加害者に対する怨みの一言もない点です。高貴な心に触れました。『絆』(2002・朝日新聞社)所収。(小笠原高志)


October 29102015

 上着きてゐても木の葉のあふれ出す

                           鴇田智哉

思議な句である。風の又三郎のようにこの世にいながらこの世の人でないような人物の姿が想像される。上着の下に隠された身体からどんどん木の葉があふれだしてしまい、はては消えてしまうのだろうか。風に舞い散る木の葉、頭上から落ちてくる木の葉。落ちた木の葉を掃いて集めてもふわふわ空気を含んでなかなか収まらず袋に入れようとしてもあふれ出てしまう。上着を着ていることと、木の葉があふれることに何ら関係もないはずなのだが、「着てゐても」という接続でまったく違うイメージが描き出されている。特別なことは言っていないのに違う次元の世界に連れ出されるこの人の句はつくづくスリリングである。『凧と円柱』(2014)所収。(三宅やよい)


October 30102015

 鵜は低く鶫は高き渡りかな

                           坂部尚子

面に鵜(ウ)が低空飛行している。その遥か上空に一団の鳥がざわざわと渡っている。鶫(ツムギ)である。渡り鳥を見ていると何故安住の地を探し留まらないのか不思議に思う事がある。 藤田敏雄作詞の若者たちの歌詞ではないが、「君の行く道は、果てしなく遠い、だのになぜ、歯をくいしばり君は行くのか、そんなにしてまで」と思うのである。子育てとか食糧だとか鳥には鳥の都合があるのだろう。北から渡った鶫たちはやがて人里に散り、我々の周辺を跳ね歩く事となる。他に<萩刈るや裏山渡る風の音><色葉散る幻住庵の崩れ簗><円空の墓も小径も竹の春>など。「俳壇」(2015年1月号)所載。(藤嶋 務)


January 2312016

 木の葉とは落ちてもじつとしてをらず

                           大久保白村

時記の「木の葉」の項を見ると「木を離れて了ふと単に木の葉としての存在となる。それと同時に散り残つた乏しい木の葉も亦木の葉といふ感じが強くなる」(虚子編 新歳時記)とある。生い茂っている時には幹と枝と共に一樹をなしている葉は、散った瞬間に生物としては終わりを迎えるが木の葉としての存在感を得る、ということか。そう思うと、木の葉、という言葉には、落葉や枯葉には無い永遠性が感じられる。掲出句の作者は、かつて樹としてざわめいていた葉が木の葉となってもなお風に遊ぶさまを見つめている。本質を観ながらやさしい視線だ。他に〈老いてなほ花子と呼ばれ象の冬〉〈日向ぼこしてゐるうちに老けにけり〉など。『続・中道俳句』(2014)所収。(今井肖子)




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