December 11121998

 一枚は綿の片寄る干布団

                           飯島晴子

当てをすれば、そういうことにはならない。頭ではわかっていても、ついついどうにもしないままに、月日が過ぎていく。誰にも、こういうことの一つや二つはあるのではなかろうか。干すたびに、綿が片寄ってしまう一枚の布団。針と糸でちょっと止めてやれば片寄ることもないのに、作者はそれをしないのである。面倒臭いという思いからだろうが、しかし、干すたびに綿をととのえるほうが、結局はよほど面倒である。理屈はそうなるのだけれど、やはり作者は干すたびに綿を整えるほうを選んでいる。実は、私の一枚の掛け布団もそういう状態になっているので、この句を見つけたときには笑ってしまった。この布団を私の物臭の象徴とすれば、他にもぞろぞろと類似の事柄が想起される。ジーパンのポケットのなかで、ほつれた糸がこんがらかったままになっている。これもその一つだ。キーホルダーの鎖がいつも引っ掛かって、取りにくいったらありゃしない。ハサミで糸を切ってしまえば、どんなに楽になるだろう。でも、それをしないままに過ごしている。即物的な事柄でもこれだから、心のなかの様々なこんがらがりは、日々「増殖」していくというわけだ。『寒晴』(1990)所収。(清水哲男)




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