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November 08111998

 立冬の女生きいき両手に荷

                           岡本 眸

冬。毎年この文字に触れるだけで、寒気が増してくるように思われる。まだ秋色は濃いが、立冬を過ぎると東京あたりでも北風の吹く日が多くなり、北国からは雪の便りも聞こえてきて、日増しに寒くなってくる。そんな思いから、立冬となると、いささか気分が重くなるものだ。しかし、この句の女は立冬なんぞは知らないように、元気である。両手に重い荷物をぶら下げて、平然と歩いている。その姿は「生きいき」と輝いている。周囲の男どもは、たぶんしょぼくれた感じで歩いているのだろう。ここで作者は、この女に託して健康であることのありがたさ、素晴らしさを語っている。というのも、作者には大病で手術した体験があり、それだけになおさら健康には敏感であるわけだ。同じ時期の句に「爪のいろ明るく落葉はじまりぬ」がある。爪の色のよしあしは、健康のバロメーターという。この日の作者は、実に元気なのだ。この二句を読み合わせると、掲句の女は作者自身かもしれないと思えてきた。自画像と読むほうが適切かもしれない。そのほうが自分を突き放した感じがあるだけに、俳諧的には面白い。『冬』(1976)所収。(清水哲男)


November 24111998

 あやとりのエッフェル塔も冬に入る

                           有馬朗人

ういえば、あやとり遊びで作る形には名前がついていた。地方によって異なるのだろうが、「川」だとか「橋」だとか「帚(ほうき)」だとか……。「エッフェル塔」は初耳だが、形状から推察して「帚」のように思える。あるいは、作者の創作かもしれない。いずれにしても作者は、あやとりの形から連想して、本物のパリのエッフェル塔を思っている。どんよりと雲のたれ込めたパリの冬が、身辺にはじまったように感じている。もとより、連想の源は、あやとりが寒い時期の室内での遊びであることにある。外国との交流が頻繁な作者ならではの句境だろう。作者には、一度だけお目にかかった。東大学長に選出される一週間前くらいだったろうか。ラーメン屋に毛の生えたような麹町の小さな店に、友人がアルコールの勢いで「呼び出した」という格好だった。彼は編集者として、何冊か有馬さんの本を作ったことがある。三時間ほど、にこやかに応接してくださった。話の中身は省略するが、一週間後にまたぞろ私がひとりでその店に出かけていくと、ちょうどテレビのニュースが有馬さんの学長決定を告げているところだった。それを見ていた店のお兄さんが叫んだものである。「あっ、このヒト、あのオジサンだっ」。『立志』(1998)所収。(清水哲男)

[読者から教えていただきました。エッフェル塔の作り方には何通りかあるようです]もとはしみほさんの方法。小さいころに母から習ったもので「東京タワー」と言っていました。つくった梯子を顔の前にもっていき、ちょうど真ん中の交点になったところをくちびるで挟んで、両の指からひもがはずれないように気をつけながら両手をそっと下にさげる。これだけです(挟んだ所が塔の頂上になります)。作った当人には、せっかくの作品がちゃんと見えないのが欠点ですが、子どもたちに披露するにはもってこいです。 鈴木麻理さんの方法。こちらは口を使いません。鈴木志郎康さんが、以上の二通りの完成写真と、もう一つ、インディアン方式のタワーの写真を撮ってくれました。どうぞ、ご覧ください。みなさん、ありがとうございました。現・文部大臣である作者が詠んだエッフェル塔は、果たしてどれなのでしょうか。チャンスがあったら、うかがってみます。


November 08111999

 山の子が独楽をつくるよ冬が来る

                           橋本多佳子

楽は新年の季語だが、ここでは「冬が来る」のだから「立冬」に分類する。文字どおりの「山の子」であった私には、思い当たる句だ。山国への寒さの訪れは早い。いかな「山の子」でも、この季節になると山野を駆けめぐるなどの遊びはしなくなる。遊び場を、室内に切り替えるのだ。女の子はお手玉遊びをやっていたようだが、男の子は独楽回しに熱中した。農家には土間がある。そこで回す。村の万屋(よろずや)には出来合いの独楽も売ってはいたけれど、誰も買わなかった。もっと安い鉄の心棒と輪だけのセットを買ってきて、本体は小刀で丹念に木を削って作った。仕上げるのには、何日もかかった。ただし、作者が見たのはもっと素朴な独楽づくりの様子だったのかもしれない。木の実に爪楊枝のような細い木をさすものとか、丸い厚紙にマッチ棒の心棒をさすだけのものとか……。そういうものも作ったが、やはり鉄の心棒と輪とで作った独楽は頑丈だったし、互いにはねとばしあう遊びもできたので、なんだか知らないが「ホンカクテキ」だと思っていた。おかげで、いまでも独楽はちゃんと回せる。もはや、淋しい技術に成り果ててはいるけれど。(清水哲男)


November 07112001

 凪ぎわたる地はうす眼して冬に入る

                           飯田蛇笏

冬。暦の上では冬に入った。もとより今日から急に寒くなるわけでもないが、立冬と聞くと、人は「そういえば」と周囲に冬の気配を感じとるものだ。どこの何に、そしてそれをどのように感じ、如何に詠むのか。立冬の句は枚挙にいとまもないが、それぞれの句はそれぞれに冬の気配を述べていて、みなそれなりに味わいがある。読み比べると、なかなかに面白い。そんななかで、掲句は異色に属するだろう。というのも「地はうす眼して」と、山野を擬人化しているからだ。「凪(な)ぎわたる」は、この場合には、空がよく晴れておだやかな状態にあること。したがって、ちっとも厳しい冬を思わせる空ではないのだけれど、しかし、その下に広がる山野をつくづく眺めやると、なんだか「うす眼」をあけているようである。「うす眼」をあけながら、よく晴れたおだやかな空に、鋭敏に眠りの時が近づいてきたことを感じ取っている風情だ。いつかも書いたように、私は動植物やその他の自然の擬人化を好まない。ここでは理由は省略するけれど、この句においては例外的に擬人化が成功していると思った。広い山野に冬が兆すというとき、つまり秋から冬への季節のうつろいの繊細かつ微妙な変化を言うときに、それらを一挙に一言で仕止めるためには、短い俳句では、この方法くらいしかないかなと思うからである。それにしても、このような句は恵まれた自然のなかでの生活からしか現れることはないだろう。今日の東京の地は、たぶんまだ眼をなんとなく見開いているはずだ。むろん、そこに暮らす人々も、また。『家郷の霧』所収。(清水哲男)


November 08112003

 地玉子のぶつかけご飯今朝の冬

                           笠 政人

語は「今朝の冬」、立冬のことだ。雪の便りもちらほらと聞こえてくる。まだ東京あたりではそんなでもないが、もう名実ともに冬に入っている地方もあるだろう。長くて厳しい季節のはじまりである。作者は、そんな寒い地方の人だろうか。ほかほかのご飯に玉子をぶっかけて、勢い良く掻き込んで食べている。さあ「冬よ、やってこい」と、身構えている。わざわざ「地玉子」と玉子に「地」をかぶせたのは、新鮮で栄養価の高い玉子をイメージさせることで、句の勢いを増すためだろう。単に玉子と言うよりも、よほど迫力が出る。すぐに連想したのは、高村光太郎の詩集『道程』に収められている「冬が来た」だった。昔、小学校の教室で習った。「きっぱりと冬が来た/八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になった」というのだから、季節的にはもう少し寒くなってからの詩だ。最後の二連は、こうなっている。「冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ//しみ透れ、つきぬけ/火事を出せ、雪で埋めろ/刃物のような冬が来た」。こちらも相当な迫力で、子供のときにも圧倒された。掲句の作者にしても光太郎にしても、とにかく若くて元気だ。若くて元気でなければ、こういう詩は書けない。そこへいくと今の私などは、冬と聞くだけでへなへなとなりそうだ。あ〜あと、溜め息の一つもついてしまう。これではならじ。句の作者にならって、今朝はいっちょう、ご飯に玉子をぶっかけて食うことにしようかな。今日、立冬。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


November 07112004

 百姓に花瓶売りけり今朝の冬

                           与謝蕪村

語は「今朝の冬」で冬。「立冬」の日の朝のことだ。この句には、何らかのエピソードが背景にありそうな気もするのだが、よくわからない。蕪村は物語の発端を思わせる句を多く作っているから、その流れにあるとして解釈してみる。以前から近隣の「百姓」に欲しいとしつこく請われていた愛用の「花瓶」を、熱意にもほだされて、ついにある朝手放してしまった。「売りけり」とあるから売ったわけだが、そのときの蕪村は手元不如意でもあったのだろう。が、いくら生活のためとはいえ、およそその花瓶は無風流な百姓にはそぐわない品と思われ、どうせ手放すのなら、もっとふさわしい人があったろうにと悔やんでいる。花瓶のなくなった床の間は、やけに寒々しい。そういえば、今日は「立冬」である。これから、長くて暗い季節がやってくるのだ。うつろな心でぽっかりと空いた空間を見つめる作者の姿には、既に暗くて寒々しい冬の気配が忍び寄っている。あまり自信はないけれど、大体こんなところでどうだろうか。自然界の動きに立冬を感じるのではなく、花瓶を売るという人為的なそれに感じているところが、面白いといえば面白いし、少なくとも斬新な思いつきだ。ちなみに掲句は、編者が蕪村の佳句のみを選んだという岩波書店版「日本古典文學大系」には載っていない。(清水哲男)


November 07112005

 立冬の病みて眩しきものばかり

                           荒谷利夫

や、「立冬」。暦の上では、今日から冬です。俳句と無縁な人なら「へえっ」程度ですませてしまうところだろうが、実作者にとっては、しばらく悩ましい日がつづく。体感的に秋でもあり冬でもありと曖昧で、なんとかしてくれと言いたくなってしまう。東京あたりでは、まだ紅葉も見られないというのに……。ところで、天気予報によれば、今日の東京地方は雨のち晴れで、日中の最高気温は26度にもなるという。これでは、秋でも冬でもなく夏である。だが、たとえ夏日になろうとも、季語にこだわる人はやはり冬に対して身構える気持ちにはなるだろう。たとえば風景のどこかに、暗くて寒い冬到来の予兆を嗅ぎ取ったりするだろう。すなわち、今日の心はいくぶん暗鬱なほうへと傾斜してゆく。けれども、それは健康者だからなのであって、病者は違うということを掲句が示している。病身の作者の目は、立冬らしく表に木枯しが吹き荒れていようとも、そこに自然の生命の躍動を覚えて眩(まぶ)しさを感じるというわけだ。何を見ても、自分の病いに比べれば暗いものはなく、素直に「眩しきものばかり」と言えるのである。話はずれるが、年齢的に私はたぶん、人生の立冬くらいのところにいるのではなかろうか。病気とは関係なく、そんな人生の立冬にある目からしても、これまた「眩しきものばかり」の世界を意識せざるを得ない。どんなに馬鹿な(大いに失礼)ガキどもを見ても、みんなキラキラと輝いて見えるようになってきた。やれやれ、である。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 07112006

 拭ひても残る顔あり今朝の冬

                           藤田直子

と自分がここにいる不思議を思う瞬間がある。鏡を覗き込む顔も見知らぬ者のように映り、水にくぐらせた皮膚に冬の空気が通りすぎる感触さえ、どこかよそよそしく感じる。句集は作者が配偶者に先立たれた時間のなかで作られたものであり、掲句からは愛する者を亡くしたのちも実体のある自身を持て余すようなやりきれなさが伝わってくる。しかし、残された者には望むと望まざるに関わらず、連綿と日常が控えている。今日から冬が始まることは、同時に作者の新しい日々が始まることでもある。エジプトの王ツタンカーメンの棺には、妻アンケセナーメンが摘んだ矢車草の花が添えられていたという。暗殺説もある複雑な人間関係のなかで、夫婦の愛情だけは確かに育まれていたのだ。残された若きエジプト王妃もまた、悲しみを拭うように朝を迎えていたことだろう。「秋麗の棺に凭れ眠りけり」「そぞろ寒供花ふやしてもふやしても」「がらんどうの冬畳より立ち上がる」、途方もない虚無感がごつごつと胸を乱暴に駆け抜ける。長い長い時間をかけてようやく悲しみは、かけがえのない思い出となる。『秋麗』(2006)所収。(土肥あき子)


November 06112008

 立冬のクロワッサンとゆでたまご

                           星野麥丘人

ロワッサン、と聞くと私などは長年親しんだ女性雑誌の名前が思い浮かぶ。ちょっと小粋なパンの名前が醸し出すおしゃれなイメージに期待して命名されたのだろう。確かにこのパンの名前にはアンパンやメロンパンとはひと味違うよそいきの雰囲気がある。掲句はもちろん三日月形のパンそのものだろうが、このクロワッサンはおいしそうだ。かさこそ音をたてる落葉道を散歩していると、店先からパンを焼く香ばしい匂いが流れてくる。思わず買ってしまったパンのぬくみを紙袋に感じつつ帰宅。濃くいれた熱いコーヒーにゆで玉子を添えて朝の食卓を囲む。そんなシーンを思い描いた。パリパリと軽いクロワッサンの感触とつるりと光るゆでたまごの取り合わせも素敵だ。一見何の技巧もなく見えるが、これだけの名詞を並べるだけで立冬の朝の気分をいきいき感じさせている。この句集には「立冬の水族館の大なまず」(「なまず」は魚偏に夷の表記)などの楽しい句もあって、気負いなく寒い冬を受け入れようとする作者の自在な心持が感じられる。『雨滴集』(1996)所収。(三宅やよい)


November 10112011

 立冬のきのこ会議の白熱す

                           中谷仁美

冬をさかいに朝晩冷え込むようになってきた。この季節、椎茸、舞茸、シメジなど鍋に入れるきのこがとりわけおいしく感じられる。きのこ会議とは、林の中のきのこの正体をめぐって繰り広げられる議論なのか。ひょっとすると居酒屋のメニューを前にきのこをめぐってたわいもない話しが盛り上がっているだけかもしれぬ。人間主体でなくとも、ひとの踏み込まぬ林の奥で、栗茸や楢茸や舞茸が、ああ、もう本格的な冬が近い。この世から消えてしまう前に来年の場所取りに決着をつけなければと、熱心に会議している童話的世界を想像しても楽しい。実り多き秋、紅葉の秋が過ぎると山もめっきり寂しくなる。今のうちに多種多様なきのこを楽しむことにしよう。『どすこい』(2008)所収。(三宅やよい)


November 11112012

 立冬や浮き上がりさうな力石

                           岩淵喜代子

の姿ということを意識しないままに読み、作ってきましたが、もしかしたら、この句にはそれがあるのかもしれません。何度読み返してみてもわからない句なのですが、それでもしばらくの間、この句から目を離せられないからです。まず、「立冬」で始まり、「力石」で終わる、この納まりのよさ。漢字二字を上下に配置した姿です。増俳では、横書きになりますが、この句を縦書きにしてみてください。「立冬」は暦のうえの言葉ですが、この日、空を見上げて冬を予感する人もいるでしょう。それに対して「力石」は寺社の境内にあって、昔は力試しに持ち上げられたそうですが、今は地面に黙って鎮座しています。文字の上下と事象の天地が対応していることによって、句の姿が安定しています。ところが、中七が全く不安定で、第一に字余り、第二に「浮き上がりさうな」という内容です。「浮き上がりさうな力石」とは、どこの、どんな、どれくらいの大きさの力石であるのか、その時の天候は、そして作者の心のもちようはどのような状態であったのか、不明です。つまり、中七は謎です。しかし、立冬は確かに今年もやって来て、力石は、日本中の寺社に遍在しています。季節は確実に繰り返し、力石は不易の姿。掲句に生物は登場しませんが、天地の間を徘徊して、ときに、幻視してしまう風羅坊(「笈の小文」)の姿が見え隠れするようです。『白雁』(2012)所収。(小笠原高志)


November 05112015

 立冬の水族館の大なまず

                           星野麥丘人

まずはの表記は魚編+夷、一般には鯰と書くことが多いがこの句ではずんぐりとした大なまずを強調する意味でこの漢字を用いているのだろう。水族館の暗い水槽に沈んでいる大なまずは季節の変化はほとんど関係がない。昨日、今日、明日同じ状態が持続していくだけである。「ひたすらに順ふ冬の来りけり」という句も並んでいる。身を切る寒さ、足元の危うい雪や凍結の道路。年を経るにしたがって、耐え忍ぶ冬を超えて春を待ちのぞむ気持ちは強くなる。いよいよ立冬。動き回ることが少なくり炬燵に立てこもる姿は大なまずと同じということか。さて今年の冬の寒さはどんなものだろう。『雨滴集』(1996)所収。(三宅やよい)




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