October 27101998

 かけそばや駅から山が見えている

                           奥山甲子男

まれた季節は、いつだろうか。蕎麦といえば普通は秋か冬かということになるが、この場合は駅のホームにある立ち食い蕎麦屋での句だから、無季としておく。作者が見ている山にも、季節感は書かれていない。そのあたりは、読者の想像におまかせなのである。そうした意味での明確な季節感はないのだけれど、まかされた読者の側では、ちゃんと季節感があるように感じられる。そこが面白い。ということは、誰にも駅のホームで「かけそば」を注文する作者の状況がわかり、それがあたかも自分の体験であるように感得されるからだろう。そこで、ある読者は「春」だと思い、別の読者は「秋」だと感じる。それで、いいのだ。とにかく、作者は急いでいる。乗り換えか、あるいはここで下車するのか、いずれにしてもゆっくり食事を取っているヒマはないのである。で、作者は急いで注文して、蕎麦が出てくるまでの束の間に所在なく遠くを見やると、そこには山が連なっていたというわけだ。目前の仕事に追われている目が、ほんの一瞬、見知らぬ「山」に感応する……。それだけの話だが、この種のことは誰にでも起きる。まさに人生の機微を巧みにとらえた句と言えよう。『火』所収。(清水哲男)




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