October 20101998

 一本のマッチをすれば湖は霧

                           富沢赤黄男

は「うみ」と読ませる。霧の深い夜、煙草を喫うためだろうか、作者は一本のマッチをすった。手元がぼおっと明るくなる一方で、目の前に広がっている湖の霧はますます深みを帯びてくるようだ。一種、甘やかな孤独感の表出である。と、抒情的に読めばこういうことでよいと思うが、工兵将校として中国を転戦した作者の閲歴からすると、この「湖の霧」は社会的な圧力の暗喩とも取れる。なにせ1941年、太平洋戦争開戦の年の作品だからだ。手元の一灯などでは、どうにも払いのけられぬ大きな壁のようなものが、眼前に広がっていた時代……。戦後、寺山修司が(おそらくは)この句に触発されて「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と書いた。寺山さんは、日活映画の小林旭をイメージした短歌だとタネ明かしをしていたが、それはともかくとして、相当に巧みな換骨奪胎ぶりとは言えるだろう。ただし、書かれている表面的な言葉とは裏腹に、寺山修司は富沢赤黄男の抒情性のみを拡大し延長したところに注目しておく必要はある。寺山修司の世界のほうが、文句なしに甘美なのである。(清水哲男)




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