October 17101998

 星降るや秋刀魚の脂燃えたぎる

                           石橋秀野

く晴れた秋の夜、作者は戸外で秋刀魚を焼いている。第三者としてそんな主婦の姿を見かけたら、微笑を浮かべたくなるシーンであるが、作者当人の気持ちは切迫している。秋刀魚にボッと火がついて、火だるまになった様子を「燃えたぎる」と表現する作者は、名状しがたい自分の心の炎をそこに見ていると思われる。単なる生活句ではないのである。いや、作者が生活句として書こうとしても、どうしてもそこを逸脱してしまう気性が、彼女には生来そなわっていたというべきなのかもしれない。浅薄な言い方かもしれないが、火だるまになれる気性は男よりも数段、女のほうにあらわれるようだ。だから「生来」と、私としては言うしかないのである。上野さち子の名著『女性俳句の世界』(岩波新書)より、秀野の俳句観を孫引きしておく。敗戦直後の1947年の俳誌「風」に載った文章である。「俳句なんどなんのためにつくるのか。飯の足しになる訳ではなし、色気のあるものでもなし、阿呆の一念やむにやまれずひたすらに行ずると云ふより他に答へやうのないものである」。このとき、秀野三十九歳。掲句は1939年、三十一歳の作品だ。『桜濃く』(1959)所収。(清水哲男)




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