October 13101998

 秋風に和服なびかぬところなし

                           島津 亮

服の国に生まれながら、一度もちゃんとした和服を着たことがない。サラリーマンをやめてからは、いわゆるスーツもほとんど着ない。年中、ジーンズで通している。服の機能性を重視するというよりも、単純に面倒臭いので、ちゃんとした服を着る気にならないだけの話だ。つまり、しゃれっ気ゼロ。そんな私だが、他人が和服やスーツをきちんと着こなしている姿は好きだ。とくに中年女性の上品な和服姿には、素朴に感動する。というわけで、この句にも素直に文句なしに感動した。なるほど、和服の袖や袂や裾は自然に風になびくのであり、着ている人の心持ちからいうと、襟元などを含めたすべての部分が「なびかぬところなし」の感じになるはずである。和服にはなびく美しさを前提にしたデザイン思想があるようで、裾模様などという発想は、その典型だろう。その点、西洋の「筒袖」(明治期の洋服の一呼称)には「なびきの美学」は感じられない。西洋は風にあらがい、この国は風に従い、風を利用して審美眼を培ってきた。すなわち、俳句はこの国に特有の「なびきの美学」の文学的表現でもある。『紅葉寺境内』所収。(清水哲男)




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