October 06101998

 はればれとたとへば野菊濃き如く

                           富安風生

ればれとした気持ちとは、どういうものか。作者は「たとへば」と例をあげている。わずか十五文字のなかに「たとへば」と四文字を使うのは、なかなかの冒険だ。下手をすると、そこで句の流れが止ってしまうからである。しかし、この句にはよどみがない。すらりと読める。句が詠まれた状況について、書き残された文章があるので引用しておこう。「……多摩川の稲田登戸……道の埃を被らない野菊の花は、晴れた空と同じやうに鮮かな色をして……山萩の蔭を、少女らの唱ふ透き通る声が下りて来た。少女らはわれわれと松の下の径を譲り合ふ時だけ唱ひやめたが、通り過ぎるとまた朗らかに唱ひはじめた。……ネクタイを胸のあたりにひるがへしながら……」。このとき(1937)、風生53歳。27年間に及んだ役人生活にピリオドを打った年である。青年のように純朴な感受性がまぶしい。『松籟』(1940)所収。(清水哲男)




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