G黷ェ句

September 2391998

 梨を剥く一日すずしく生きむため

                           小倉涌史

の場合の「一日」は「ひとひ」と読ませる。「秋暑」という季語があるほどで、秋に入ってもなお暑い日がある。残暑である。今日も暑くなりそうな日の朝、作者はすずしげな味と香りを持つ梨を剥いている。剥きながら作者が願っているのは、しかし、体感的なすずしさだけではない。今日一日を精神的にもすずやかに過ごしたいと念じている。「すずしく生きむ」ために、大の男がちっぽけな梨一個に思いを込めている。大げさに写るかもしれないが、こういうことは誰にでもたまには起きることだ。そんな人生の機微に触れた佳句である。ところで、作者の小倉涌史さんは、この夏の七月末に亡くなられたという。享年五十九歳。このページの読者の方が知らせてくださった。小倉さんとは面識はなかったが、ページは初期から読んでくださっており、検索エンジンをつけるときのモニターにもなっていただいた。もっともっと元気で「すずしく生き」ていただきたかったのに、残念だ。心よりご冥福をお祈りします。『落紅』(1993)所収。(清水哲男)


October 25101998

 梨園の番犬梨を丸齧り

                           平畑静塔

をもぐ季節としてはいささか遅すぎるが、犬が梨を食べるとは知らなかったので、あわてての掲載だ。三鷹図書館から借りてきた『自選自解・平畑静塔句集』(白鳳社・1985)で、発見した。さっそく、作者に語ってもらおう。舞台は、宇都宮南部の梨園である。「……この梨園の出口に一頭の大犬が括られて番犬の用をさせられている。裏口からもぐり込むのを防ぐのだが、めったに吠えない。私たち初見のものも、人相風体がよいのか、吠えようとしないで近づくので、手にした梨を一つ地に置くと、番犬はしめたとばかりにかじりついて、丸ごと梨を食べてしまったのである。お見事と云うよりほかに言葉なしに感に入ったのである」。犬に梨園の番をさせるというのも初耳だが、梨を好む犬がいるとは、ついぞ聞いたことがない。梨園の番をしているうちに、好きになってしまったのだろうか。もっとも、私は犬を飼った経験がないので、単に知識が不足しているだけなのかもしれないのだけれど……。ところで「なしえん」と読まずに「りえん」と読む梨園(歌舞伎界)もある。作者の自解がなかったら、こちらの梨園と解釈するところだった。あぶない、あぶない。『漁歌』(1981)所収。(清水哲男)


September 3091999

 孔子一行衣服で赭い梨を拭き

                           飯島晴子

(あか)は、赤色というよりも赤茶けた色。野性的な色だ。わずか十七文字での見事なドラマ。曠野を行く孔子一行の困苦と、しかしどことなくおおらかな雰囲気が伝わってくる。句についての感想で、かつて飯田龍太は衣服の色が「赭い」と読んでいるが、いささかの無理があるだろう。失礼ながら、誤読に近い。私としては素直に梨が赭いと読んで、衣服の色彩は読者の想像のうちにあるほうがよいと思う。ただし、どんな誤読にも根拠があるのであって、たしかにこの「赭」には、茫漠たる曠野の赤土色を思わせる力があるし、光景全体を象徴する色彩として機能しているところがある。句全体が、赭いといえば赭いと言えるのだ。それはともかくとしても、農薬問題以来、私たちは衣服で梨や林檎をキュッキュッと拭って齧ることもしなくなり、その意味からも、この句がますますおおらかに感じられ、スケールの大きさも感じられるというわけだ。したがって「まさしく才智きわまった作」と龍太が述べている点については、いささかの異存もない。「内容をせんさくして何が浮かびあがるという作品ではない」ということについても。『朱田』(1976)所収。(清水哲男)


August 2782001

 小刀や鉛筆を削り梨を剥く

                           正岡子規

くらいの世代ならば、すぐに肥後守(ひごのかみ)を思い出すはずである。刃渡り十センチ少々の「小刀(こがたな)」だ。折込式の柄は鉄製か真鍮製で「肥後守」と銘を切ってあり、鉛筆を削るための学用品だった。鉛筆削り器なんて洒落れた物はなかったから、誰もが携行していた。子規の時代にもあったのかと調べてみたが、わからない。そんな鉛筆を削るための道具で梨を剥いたというだけの句だが、妙にこの「小刀」が生々しく感じられる。洗濯機で薯を洗うのと同じことで、機能的には何の問題もないのだけれど、衛生観念上でひっかかるからである。奥さんに林檎を剥かせるときに、剥いた部分には絶対に手を触れさせなかったという泉鏡花が現場を見たとしたら、真っ青になって失神しかねないほどの不衛生さだ。でも、子規は「こんなこと平気だい」とバンカラを気取っているのではなく、いつしか不衛生に感応しなくなっている自分に、あらためて感じ入っているのだと思う。局面を違えれば、誰にでも似たようなことはあるのではなかろうか。習い性となっているので、自分では何とも思わない振るまいが、他人の目には奇異に写るということが……。子規は、そんな自分のありようの一つを発見してしまったということだ。子規二十九歳。腰痛がひどくなった年だが、まだ外出はできた。(清水哲男)


September 1892004

 包丁に載せて出されし試食梨

                           森田六合彦

語は「梨」で秋。俳句を読んでいると、ときたま懐かしい光景に出会うことがあり、これもまた俳句の楽しさだ。俳句の文芸的な味わいはもとより大切だが、一方で時代のスナッブ写真的機能も大切である。この句は、私の少年期を思い出させてくれた。作者のいる場所などはわからないが、懐かしいなあ、初物の梨などはこうやって「どうだ、食べてみな」と大人が食べさせてくれたものだ。一般的に刃物を人に向けるのはタブーではあるが、皿に盛るほどのご馳走ではないし、量も少ないのでくるくるっと剥いてざくっと切って、「お一つどうぞ」の感じで「包丁」に載せて差し出したものだ。とくに梨のように水分の多い果実は、手から手へ渡すよりも、包丁に載せて出したほうがより新鮮で清潔な感じがあったためだと思う。まさに「試食」ならではの光景である。まさかねえ、こういうことが俳句になろうとは露ほども思ったことはなかったけれど。たぶん作者は、包丁に載せて差し出されたのがはじめての体験だったのではなかろうか。だから、ちょっとぎくりとして、作句したのに違いない。「試食」という状況説明をつけたのが、その証拠だ。私たちの世代なら、試食と言われなくてもそう思うのが普通だからである。ま、そんなことはどうでもよろしいが、とにかくとても美味しそうですね。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 1192006

 梨の肉にしみこむ月を噛みにけり

                           松根東洋城

者は漱石門、大正期の作品だ。季語は「梨」で秋。「肉」は「み」と読ませていて、むろん梨の「実」のことであるが、現代人にこの「肉」は違和感のある使い方だろう。「肉」と言うと、どうしても私たちは動物のそれに意識が行ってしまうからだ。しかし、昔から「果実」と言い「果肉」と言う。前者は果物の外観を指し、後者はその実の部分を指してきた。だから、梨畑になっているのは「実」なのであり、剥いて皿の上に乗っているのは「肉」なのだった。この截然たる区別がだんだんと意識されなくなったのは、おそらく西洋食の圧倒的な普及に伴っている。いつしか「肉」という言葉は、動物性のものを指すだけになってしまった。東洋城の時代くらいまでの人は、植物性であれ動物性であれ、およそジューシーな食感のあるものならば、ともに自然に「肉」と意識したのだろう。言語感覚変質の一好例だ。冷たい梨をさりさりと食べながら、ああ、この肉には月の光がしみこんでいるんだなと感得し抒情した句。なるほど、梨は太陽の子というよりも月の子と言うにふさわしい。ただ、こうしたリリシズムも、この国の文芸からはいまや影をひそめてしまった。生き残っているとすれば、テレビCMのような世界だけだろう。現代の詩人が読んだとしら、多くは「ふん」と言うだけにちがいない。抒情もまた、歳を取るのである。『東洋城全句集』(1967)所収。(清水哲男)


October 06102006

 梨剥くと皮垂れ届く妻の肘

                           田川飛旅子

調「写生」というのがあるとすれば、こういう句を言うのではないか。花鳥風月にまつわる古い情趣を「俳諧」と呼び、季語の本意を描くと称して類型的発想の言い訳に用いる。そんな「写生」の時代が長くつづいた。否、続いていると言った方がいい。子規が提唱した「写生」の論理はいつしか神社仏閣老病死の情緒へとすり替わっていった。ものを写すことの意味は「瞬間」を捉えることだ。なぜ「瞬間」を捉えるのか、それは、「瞬間」が「永遠」に通じるからだ。人は「瞬間」をそこにとどめることで「永遠」への入り口を見出したいのだ。それは「死」を怖れる感情に通じている。この句には作者によって捉えられた「瞬間」が提示されている。対象の焦点である「皮」を捉える精確な角度と描写。形容詞、副詞の修飾語を廃しての緊張した詩形。文体としての特徴は「と」にある。「写生」が抹香臭くなったのは、文体がパターン化したのも理由のひとつである。この「と」は従来の「写生」の文体の枠から出ている。『花文字』(1955)所収。(今井 聖)


September 2392007

 夕刊に音たてて落つ梨の汁

                           脇屋義之

を食べた汁が新聞に落ちる、それだけのことを描いただけなのに、読んだ瞬間からさまざまな思いが湧いてきます。句というのは実に不思議なものだと思います。たしかに梨を食べるのは、日が暮れた後、夕食後が多いようです。一日の仕事を終えてやっと夕飯のテーブルにつき、軽い晩酌ののち、ゆっくりと夕刊を開きます。そこへ、皿に載った四つ切の梨が差し出されます。蛍光灯の光が、大振りな梨の表面を輝くばかりに照らしているのは、果肉全体にゆき渡ったみずみずしさのせいです。昨今の政治情勢でも読みふけっているのでしょうか。「こんなふうに仕事を放り投げられたら、ずいぶん楽だろうなあ」とでも思っているのでしょうか。皿のあるあたりに手を伸ばし、梨の一切れを見もせずに口に運び、そのままかぶりつきます。思いのほか甘い汁が口を満たし、その日の疲れを薄めるように滲みてゆきます。意識せずに口を動かす脇から、甘い汁がこぼれ落ち、気が付けば新聞を点々と黒く染めています。静かな夜に好きな梨を食することができるというささやかな幸せが、新聞記事の深刻さから、少しだけ守ってくれているように感じられます。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


November 04112007

 林檎もぎ空にさざなみ立たせけり

                           村上喜代子

象そのものにではなく、対象が無くなった「跡」に視線を向けるという行為は、俳句では珍しくないようです。およそ観察の目は、あらゆる角度や局面に行き渡っているようです。句の意味は明解です。林檎をもぐために差し上げた腕の動きや、林檎が枝から離れてゆく動きの余波が、空の広がりに移って行くというものです。現実にはありえない情景ですが、空を水に置き換えたイメージはわかりやすく、美しく想像できます。似たような視点から詠まれた句に、「梨もいで青空ふやす顔の上」(高橋悦男)というのもあります。両句とも、本当にもいだのは果物ではなく、青空そのものであると言いたかったのでしょう。「地」と「絵」の組み合わせを、果物にしたり、空にしたり、水にしたりする遊びは、たしかに飽きることがありません。もぎ取った空に、大きく口をあけてかぶりつけば、そこには果肉に満ちた甘い水分が、今度は人に、さざなみを立てはじめるようです。『合本俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


September 1492009

 二十世紀ちふ梨や父とうに亡き

                           前田りう

葉県松戸市に住む少年が、裏庭のゴミ捨て場に生えていた小さな梨の木を偶然発見した。それが「二十世紀梨」で、1888年(明治21年)のことだったという。私が子供だったころ、友人とよく「二十一世紀になったら、この名前も変わるのかなあ」などとよく話題になった。しかし現在、名前の変更もなく二十世紀梨は依然として健在である。この句は「二十世紀ちふ梨」の「ちふ」に注目。「と言う」の意味で、発音は「tju:」だ。つまり会話体だ。似たような使われ方の「てふ」があるけれど、こちらは「tjo:」としか読めないから、ふだんの会話で使うことはない。あくまでも書き言葉である。いささか気取った言葉にも感じられ、当今流行の旧かなコスプレ・ファンが好んで使いそうな雰囲気も備えている。「ちふ」の「tju:」は、私の育った山陰地方などでは完全な日常用語だったが、これを女性が使うと、ちょっと伝法な物言いにも聞こえた。ましてや作者は東京在住なので、普通は「te.ju:」だろうから、これは意図的な「ちふ」だ。あるいは父上の口癖だったのかもしれないけれど、それでも女性が句に用いると伝法は伝法である。この伝法な言葉遣いがあるせいで、「とうに」父を亡くした作者の思いがいまさらのように濃密によみがえってくるようだ。この「ちふ」が「てふ」だと、凡句になってしまう。語感によほど敏感なひとでないと、こういう句は詠めないだろう。『がらんどうなるがらんだう』(2009)所収。(清水哲男)


December 25122009

 点滴の滴々新年おめでたう

                           川崎展宏

宏さんが亡くなられた。僕は同じ加藤楸邨門下だったので、展宏さんに関する思い出はたくさんあるが、その中のひとつ。展宏さんが楸邨宅を訪ねた折、展宏さんが「僕はどうせ孫弟子ですから」と楸邨の前で少しいじけて見せた。展宏さんは森澄雄の薫陶を受け「杉」誌創刊以来中核の存在であったため、そのことを意識しての言葉だった。それに対し楸邨は「そんなことはありません。直弟子です」と笑って応じたという。酒豪の展宏さんは酔うと必ずこの話をされた。そういえば楸邨に川崎展宏君という前書のある句で「洋梨はうまし芯までありがたう」がある。「おめでたう」と「ありがたう」は呼応している。晩年の病床でのこの句の余裕と呼吸。やはり展宏さんはまぎれもない楸邨の直弟子であった。「角川俳句年鑑」(2009)所載。(今井 聖)


February 0822010

 春うつらくすりの妻の名で呼ばれ

                           的野 雄

院では患者当人ではなくても、付き添いや見舞い客などの人を患者のフルネームで呼ぶ場合が多い。今回の父の入院で、私も何度も父の名で呼びかけられた。慣れてしまえば何ということもないのだろうが、なんだか妙な心持ちになってしまう。句の作者は、妻の薬を受け取りにきたのだろう。だいぶ待たされるので、つい「うつら」としてしまった。で、ようやく窓口から呼ばれたときには妻の名前なものだから、「うつら」の頭ではすぐには反応できない。呼ばれたような気もするのだが……と逡巡するうちに、今度ははっきりと妻のフルネームが聞こえて、あわてて立ち上がったのである。微苦笑を誘われる句だけれど、私も作者と似た環境にあるので、微苦笑とともに自然に溜息も出てくる。句集には「主夫」という言葉が何度も出てくるから、奥様はかなり長患いのようだ。同じ句集に「想定外妻に梨剥く晩年など」があり、また「逃亡めく主夫に正月と言うべしや」がある。お大切に。『円宙』(2009)所収。(清水哲男)


September 1492011

 ずっしりと水の重さの梨をむく

                           永 六輔

のくだものは豊富で、どれをとってもおいしい。なかでも梨は秋のくだものの代表だと言っていい。近年は洋梨も多く店頭に並ぶようになったが、日本梨の種類も多い。長十郎、幸水、豊水、二十世紀、新高、南水、愛宕、他……それぞれの味わいに違いがある。品種改良によって、いずれも個性的なおいしさを誇っている。私が子どもの頃によく食べたのは、水をたっぷり含んだ二十世紀だった。梨を手にとると、まず「ずっしり」とした「重さ」を感じることになる。それはまさに「水の重さ」である。梨は西瓜や桃に負けず水のくだものである。梨の新鮮なおいしさを「重さ」でとらえたところが見事。作者が詠んでいる「水の重さ」をもった梨の種類は何だろうか? それはともかく、秋の夜の静けさが、梨の重さをより確かなものにしているように思われる。古書に梨のおいしさは「甘美なること口中に消ゆるがごとし」とか「やはらかなること雪のごとし」などと形容されている。梨の句に「梨をむくおとのさびしく霜降れり」(日野草城)「赤梨の舌にざわつく土着性」(佐藤鬼房)などがある。『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(2011)所載。(八木忠栄)


October 03102011

 薄く薄く梨の皮剥くあきらめよ

                           神野紗希

物の皮を剥くのは得意なほうだと思う。小学生のころに、さんざん台所仕事をさせられたせいもしれない。林檎などは、中途で一度も途切らすことなく皮を垂らして剥くことができる。と、そんなに自慢するほどのことでもないけれど、これが梨剥きとなるとけっこう難しい。林檎に比べると梨は肌理が粗いので、すぐ果肉に刃が食い込みがちだからだ。どうしても薄くなめらかとはいかずに、凹凸の部分ができてしまう。作者はべつに一本の皮を垂らそうとしているわけではなさそうだが、それでも「薄く薄く」剥こうと心がけている。なかなかに集中力を要する作業だ。何のためかと言えば、自分に何かを「あきらめよ」と言い聞かせるためである。自分自身に決断をうながすための、いわば手続きのような作業として可能な限り薄く薄く剥こうとしている。しかし剥きながら、なお決断することをためらっている様子もうかがえる。なんという健気な逡巡だろうか。下五にずばり「あきらめよ」と配した句柄は新鮮だが、内実は古風な抒情句と言えるだろう。好きだな、こういうの。「ユリイカ」(2011年10月号)所載。(清水哲男)


October 18102012

 友の子に友の匂ひや梨しやりり

                           野口る理

の頃は赤ん坊や幼児を連れている若い母親を見かけることがほとんどない。子供の集まる場所へ縁がなくなったこともあるのだろう。乳離れしていない赤ん坊だと乳臭いだろうから、目鼻立ちも整い歩き始めた幼児ぐらいだろうか。ふっとよぎる匂いに身近にいた頃の友の匂いを感じたのだろう。中七を「や」で切った古風な文体だが、下五の「梨しやりり」が印象的。「匂い」の生暖かさとの対比に梨が持つ冷たい食感や手触りが際立つのだ。「虫の音や私も入れて私たち」「わたくしの瞳(め)になりたがつてゐる葡萄」おおむね平明な俳句の文体であるが、盛り込まれた言葉にこの作者ならではの感性が光っている。『俳コレ』所載。(三宅やよい)


September 0792013

 さりさりと梨むくゆびに朝匂ふ

                           清水 昶

朝も梨をむいた、いただき物の二十世紀梨。とにかく早く食べないと日に日に味が落ちてしまう、とばかりどんどんむいて食べ、母や妹のところに持っていき、残りは保存容器に入れて冷蔵庫に。暑い中帰宅して食べると、冷やしすぎで甘みは落ちているかもしれないが、みずみずしくて美味しい。さりさり、は梨を食べている感じだが、この句の梨は、さりさりと剥かれている。私など急いでいるからさっさと四等分して芯を取ってしまうが、この梨は包丁を皮と実の間にうすく入れられながら、ゆっくり回っているのだ。その清々しい香りを、朝匂ふ、と詠んだ作者は、隣で梨を剥く妻の指をじっと見ているのかもしれない。平成十二年九月十二日の作。『俳句航海日誌 清水昶句集』(2013)所収。(今井肖子)


August 1982015

 一寸一寸帯解いてゆく梨の皮

                           加藤 武

かな秋の夜だろうか。皮をむくかすかな音だけを残して、初秋の味覚梨の実が裸にされてゆく。一寸(ちょっと)ずつ帯を解くごとくむかれてゆく、それを追うまなざしがやさしくもあやしい。それは梨の皮をむくことで、白くてみずみずしい実があらわになってゆく実景かもしれないし、あるいは“別の実景”なのかもしれない。皮が途中で切れることなく器用に連続してむかれてゆく果物の皮、いつもジッと見とれずにはいられない。それが実際に梨の実であれ、林檎であれ何であれ、その実はおいしいに決まっている。7月31日にスポーツ・ジムで急逝した加藤武、とても好きな役者だった。映画「釣りバカ日誌」での愛すべき専務役はトボケていて、いつも笑わせてくれたし、金田一耕助シリーズでの「わかった!」と早合点する警部役も忘れがたい。「加藤武 語りの世界」という舞台も時々やっていた。私は見そこなってしまったが、7月19日にお江戸日本橋亭での「語りの世界」が観客を前にした最後の公演となったようだ。残念! 東京やなぎ句会のメンバーも、近年、小沢昭一、桂米朝、入船亭扇橋、そして加藤武が亡くなって寂しくなってきた。武(俳号:阿吽)には、他に「一声を名残に蝉落つ秋暑かな」がある。『楽し句も、苦し句もあり、五七五』(2011)所載。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます