September 1991998

 かなかなや師弟の道も恋に似る

                           瀧 春一

近ある雑誌で、この句を男の師に対する女弟子の恋、ととらえた解釈を見た。確かに、いわれればそう思っても間違いではない。虚子と久女とかなんとか、すぐそういう方向に話が行く。ところが、違うのですね。この句には後書があり、そこには「水原秋桜子先生を訪問。現在の俳句観を述べ諒解を求む」とあり、その後の自註に「昭和二十二年『馬酔木』離散」とあるのだ。これはなんだ!  春一先生の秋桜子先生への訣別の句だったのだ。師を見限ったということか。それにしても「まぎらわしい」名句である。離別後、晩年になって、春一は『馬酔木』に復帰すべく石田波郷を同伴、秋桜子の元に行く。秋桜子、黙って以前と同じ序列で春一を迎えたという。いい話でしょう……。ところで、まだかなかな(蜩)は鳴いてますか?(井川博年)




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