September 0991998

 物書て扇引さく余波かな

                           松尾芭蕉

波は「なごり」。奥の細道の旅で、金沢から連れ立ってきた北枝が越前松岡まで来て別れるときの句である。句意は、別離にあたって北枝に進呈する句を扇面に書いてはみたものの、どうも意に満たないので、引き裂いてしまったというところだろう。ところが、北枝の書き残した記録によると、このとき芭蕉は「もの書て扇子へぎ分る別哉」と書いたのだそうだ。「へぎ分る」は扇子を裂くのではなく、扇子の骨に張り合わせてある二枚の地紙を剥ぎ分けることだから、相当に句の趣きは変わってくる。掲句のほうが格好はよろしいが、事実は北枝の書いているとおりだと思われる。扇子の表に芭蕉が句を書き、北枝が裏面に脇句をつけ、それをていねいにはがしてお互いの記念としたのである。当時の旅での別れは、生涯の別れであった。いい歳をした大人が、扇子の紙をていねいに引き剥がしている図も、もはや生きて会うことはないだろうという意識を前提にして、はじめて納得がいく。その意味からしても、芭蕉の決定稿より初案のほうがよほどいいのにと、私などは思ってしまう。なお、当歳時記では、句の季語は作られた季節を考慮して「秋扇」に分類しておく。(清水哲男)




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