September 0491998

 近所に遠慮することないゾ秋刀魚焼く

                           井川博年

サイトでも、評者としておなじみの詩人・井川博年の近作。なにしろ彼は、高校時代に松江図書館で『虚子全集』を読破してしまったというほどの俳句好きだから、俳句についての知識は抜群だ。私も参加している「余白句会」(小沢信男宗匠)の、いわば生き字引的存在である。しかし、あまりにも知り過ぎているということは、クリエーターとしては困ることも多く、とくに五七五と短い詩の世界では往生するのではあるまいか。つまり、どんな発想をもってしても、自分の知っている誰かの句に似てしまったりするわけで、密度の高い知識の隙間を見つけるのは容易ではない。だから、どうしてもこうした破調に傾きやすい。この破調にしても、同種の先例がないわけではなく、あれやこれやと思案の末に、今度は中身の破調にとあいなっていく。かくして井川博年は、美味い秋刀魚を食いたい一心のオタケビをあげて「現代風雅」をむさぼろうとしたのである。窓を開けて盛大に秋刀魚を焼くと、消防車が飛んできかねない現代の東京だ。そんな環境への怒りが、極私的に内向的に炸裂している。いろいろな意味で、私にとっては面白くも馬鹿馬鹿しくもほろ苦いのだが、しかし愛すべき一句ではある。「俳句朝日」(1998年9月号)所載。(清水哲男)




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