September 0391998

 草刈の籃の中より野菊かな

                           夏目漱石

は「かご」。草を刈ってきた人が、籃を乱暴にひっくり返すと、そこに可憐な薄紫の野菊が混ざっていた。よくあることであり、漱石も「何という不風流なことを……」などとは露ほども思っていない。そこが、よい。主として家畜の飼料にするための草刈りは、早朝の重労働だった。野菊であろうが桔梗であろうが、そんなものを他の草と選り分けている余裕はないのである。美も醜もない。美醜だの可憐だのという認識は、もちろん草を刈る人に日常的にはあるのだけれど、こと労働の現場では美醜を脇に置いた姿勢にならざるを得ないのだ。だから、ここで漱石は風流を言っているのではなくて、ほとんど「おや、まあ」という心持ちで、ちょこっと野菊に挨拶をしている。もう野菊の咲く季節になったのかと、思わず澄んだ空を見上げたかもしれない。漱石は、血まなこで俳句に立ち向かっていた子規や虚子などには、文学的にかなりの距離を置いていた。男子一生の仕事ではないと思っていた。よくも悪くも、その距離がそのまま、はからずもこのような句ににじみ出ているような気がする。『漱石句集』所収。(清水哲男)




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