August 3181998

 夜明路地落書のごと生きのこり

                           佐藤鬼房

季の句だが、雰囲気はどこか晩夏を思わせる。徹夜の仕事明けだろうか。自宅近くの路地まで戻ってくると、道にはどこかの子供が描いた落書きが白く残っている。たぶん稚拙な「人間」の絵だったろうが、このとき五十代の俳人は、思わず足を止めて見入ってしまったのである。そして、まさにこの落書きの「人間」のように、消されることもなく生き残ってきた自分の人生を、何か不思議な出来事のように思ったというわけだ。作者には戦時中の捕虜体験があって多くの戦友とも死に別れ(「夕焼に遺書のつたなく死ににけり」などの句がある)、自身病弱の身でもあったので、とりわけ「生きのこり」の感慨には強いものがある。落書きをした子供の生命力と作者のそれとの対比も暗黙のうちに語られていて、印象深い句だ。晩夏を思わせるのは、この対比の妙からかもしれない。最近の落書きの主流は、道にローセキで描くのではなく、道端の塀にスプレーで吹きつけるそれになってしまった。小さな子供たちに代わって、いわゆる暴走族が落書きを担当(笑)しているのも面白い。つまり、人の遊べる道は無くなったということだ。それをいちばん知っているのが、勝手気ままにオートバイを乗り回したい連中だろう。彼らにとっては道端の塀も、本来は道でなければならないのである。『地楡』(1975)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます