August 2681998

 西日さしそこ動かせぬものばかり

                           波多野爽波

いに納得。よくわかります。晩夏から初秋にかけての西日は、太陽の位置が下がってくることもあって強烈だ。眩しさもさることながら、暑さも暑しで、たまらない。そんなときに気になるのは、置かれている家具類である。カーテンはとっくに変色しているし、タンスや本箱はバリバリに乾いてしまう。毎夏、どうにかしなければと思うのだけれど、いくら思案をしても「そこ動かせぬものばかり」というわけで、結局は思案だけに終わってしまう。ちょっびりと腹立たしくもあり、またちょっびりと笑えてもくる。瑣末な感覚のスケッチにすぎないといえばそれまでだが、こうしたトリビアルな感覚を読者全体に納得させうるところが、この短詩型の特色だと言えよう。というよりも、まずは納得を前提にして作句するというのが、ほとんどの俳人の姿勢である。正岡子規が提唱した「印象明瞭の句」とはそういうものであるし、俳句はまず読者の漠然たる常識に依拠しつつ、その常識をより明確化することで完成する。俳句に遊ぶ現代詩人の多くの作品が駄目なのは、この「常識」をわきまえていないからである。そしてもうひとつその前に、俳句を一段軽く見る「非常識」が大いに災いしている。(清水哲男)




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