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August 2581998

 東京の膝に女とねこじゃらし

                           坪内稔典

味不明なれど色気あり。それは読者が「膝」と「女」と「ねこじゃらし」を、一度に頭のなかに出現させるからである。つまり「東京の女の膝にねこじゃらし」とでも、一瞬読もうとする力が働くからなのだ。どこにもそんなふうには書いてないのに、意味を求めて文字を読む習癖がそうさせるのである。そこらあたりの習癖を熟知している作者は、こう書いた後でペロリと舌を出したかもしれない。作者は常々「わかりやすい言葉で気軽に口ずさめる俳句」を主張している。そのことからすれば、この句はまさにそのとおりの作品であり、故意に意味不明に仕上げた成果がよく出ていると思う。さらには舞台を東京にセットしたところも、ニクい配慮だ。べつに東京でなくても、作者の住む大阪だって、他の地名だって構わないようなものだが、東京がもっとも野の草とは縁遠い地方であることが計算されている。東京でないと、これだけの色気は出てこない。ヒマな人は、いろいろな地名と入れ替えてみてほしい。楽しい句だ。『ぽぽのあたり』(1998)所収。(清水哲男)


October 07102000

 何もないとこでつまずく猫じゃらし

                           中原幸子

ういうことが、私にもたまに起きる。どうしてなのか。甲子園で行進する球児のように、極度の緊張感があるのならばわかる。足並みを揃えなければと思うだけで、歩き方がわからなくなるのだ。だから、チームによっては極度に膝を高く上げて歩いたりする。普段と違う歩き方を意識することで、これは存外うまくいくものだ。しかし、一人でなんとなく歩いていてつまずくとは、どういう身体的な制約から来るのだろうか。やはり、突然歩き方がわからなくなったという意識はある。そう意識すると、今度は意識しているから、余計につまずくことになる。道端で「猫じゃらし」が風にゆれている。くくっと笑っているのだ。コンチクショウめが……。そこで、またつまずく。「猫じゃらし」の名前は一般的だが、昔は仔犬の尻尾やに似ていることから、どちらかというと「狗尾草(えのころぐさ)」のほうがポピュラーだったようだ。たいていの歳時記の主項目には「狗尾草」とある。「良い秋や犬ころ草もころころと」(一茶)。この句は、仔犬の可愛らしさに擬している。『遠くの山』(2000)所収。(清水哲男)


September 2092001

 日と月のめぐり弥栄ねこじゃらし

                           池田澄子

観や背景を大きく構えて、小さなものにストンと落とす。俳句では、よく見かける手法の一つだ。このときに問われるのは(句が面白くなるかどうかを決めるのは)、大きな構えよりも小さなものの選択眼だろう。揚句は「日と月のめぐり」と大きく構え、駄目押しのように「弥栄(いやさか)」と、構えにつっかい棒までしている。「弥栄」は、発展繁栄を祈る掛け声。結婚披露宴の乾杯の音頭などで「御両家の弥栄を……」と、よく耳にする。「日と月のめぐり」はまことにおめでたく、「弥栄」とまで叫んだ作者の目がさてどこに落ちるのか。と、期待して読むと、なんとそこらへんに生えている「ねこじゃらし」に落ちたのだった。「なあんだ」と拍子抜けの面白さを感じることもできるし、一歩進めて「ねこじゃらし」の平凡から「日々好日」の庶民感覚を読むこともできる。最初私はそんなふうに読んだが、なんだか違うような気がして、何度か反芻してみた。そして思ったのは、作者が「ねこじゃらし」に見ているのは、その平凡さではなくて、その無表情ではないのかということだった。この草は、いつだって「どこ吹く風」と揺れている。そう考えると「弥栄」の叫びは、滑稽なほどに空しく響いてくる。叫んだ作者の心情などは、あっさりと無視されたというわけだ。すなわち「日と月のめぐり」に余計なつっかい棒は無用であり、ただ虚無的に「日と月」はめぐるのみなのだと、私のなかでの句意はここに落ちることになった。「俳句研究」(2001年10月号)所載。(清水哲男)


October 12102002

 雁やアメリカ人に道問はれ

                           秋本敦子

語は「雁(かりがね)」で秋。作者はアメリカ在住なので、アメリカの街で「アメリカ人」に道を尋ねられている。尋ねたアメリカ人は、作者をそこに長く住んでいる人と感じたからであり、合衆国なので人種の違いなどには関係なく尋ねたのだ。べつに、特別なことが起きたわけではない。つまり、作者はすっかり地元の人の顔をしていたというわけであり、そのことをこのアメリカ人によって気づかされ、海外生活の長さをあらためて思ったのだった。そうか、私もいつしか土地の人になっていたのか。空を渡る雁のようにはるか遠くからやってきて、しかし、雁のように故郷には帰らないでいる自分を、ふと不思議な存在のように認めている。いつか日本に戻ろう、いつかは帰れる。あくまでも、アメリカは仮住まいの土地……。そんな気持ちを、ずっと引きずっていたからこその感慨だろう。海外でなくても、日本の大都会に出てきている人のなかには、何かの折りに、同じ気持ちになることもあるはずだ。句集の掲句の次には「終の地と思ふ狗尾草あれば」が置かれている。「狗尾草(えのころぐさ)」は、別名「ねこじゃらし」。望郷の念断ちがたし。しかれども、せめて懐しい狗尾草に故郷を感じながら、生涯この土地の人として暮らしていくのであろう予感がする。いよいよ、切なさの募る句だ。『幻氷』(2002)所収。(清水哲男)


September 2692005

 ゑのころの穂に茜さす志

                           佐々木六戈

語は「ゑのころ」で秋、「狗尾草(えのころぐさ)」に分類。花穂を子犬の尾に見立てて、この名がある。「猫じゃらし」とも言い、こちらのほうが一般的かもしれない。環境に順応する力が強いのだろうか、全国的にどこにでも生えている草だ。そんないわば雑草が、朝日を浴びて茜色に照り映えている状景だろう。そして「茜さす」はもともとが「朝日」や「光」「紫」などにかかる枕詞だから、掲句では「ゑのころの穂」の状景を描写するのと同時に、本来の使い方で下五の「志」にもかけてあるのだと思う。すなわち「茜さす志」とは、「赤心」に通じる嘘いつわりやはったりのない真摯な志の意味と読める。秋の朝のさわやかな大気のなかで、みずからの志のことを思っているわけだが、その志は「ゑのころ」と同じように決して大きくも派手でもない。だがしかし、いくらつつましやかな志だとはいえ志は志なのであるから、容易に成就するはずもなく、作者はいつの日かおのれの「茜さす志」が文字通りに照り映えることがあるだろうかと、日に染まって揺れている「ゑのころ」にしばし眺め入っているのである。この句に触れて、私は若き日の志のことを思い出した。と同時に、現在の自分には志と呼べるようなものが何もないことに愕然ともしたのだった。「句歌詩帖・草藏」(第23号・2005年9月刊)所載。(清水哲男)


August 1082006

 雨風の濡れては乾き猫ぢやらし

                           三橋鷹女

語は猫ぢやらし(猫じゃらし)で秋。緑の花穂が小犬のしっぽに似ているので狗尾草(えのころぐさ)の呼び名もある。草花の知識の乏しい私でも言い当てることの出来る数少ない草だ。何気なく茂っているので、ことさら季節を意識せずにいたが、八月から十月頃が花期らしい。「雨風に」ではなく「雨風の」と表現したところに、雨風が勝手にやって来て猫じゃらしをずぶ濡れにしては乾き、またやって来ては乾きと、いたぶられることが他人事みたいな余裕が感じられる。道端にのほほんと穂を揺らすこの草にはなるほどそんな風情がある。自我を中心にした個性的な句を数々ものにした鷹女五十歳の作。戦中戦後の暗い時代を経てようやく来し方を振り返る余裕も出来たのだろう。老いへ向う人生の節目を迎えた鷹女が気負いなく猫じゃらしを詠んだことで、この草の持つ飄々としたたくましさがさらりと描き出されたように思う。『白骨』(1952)所収。(三宅やよい)


October 17102007

 あ そうかそういうことか鰯雲

                           多田道太郎

太郎が、余白句会(1994年11月)に初めて四句投句したうちの一句である。翌年二月の余白句会に、道太郎ははるばる京都宇治から道を遠しとせずゲスト参加し、のちメンバーとなった。当時の俳号:人間ファックス(のち「道草」)。掲出句は句会で〈人〉を一つだけ得た。なぜか私も投じなかった。ご一同わかっちゃいなかった。その折、別の句「くしゃみしてではさようなら猫じゃらし」が〈天〉〈人〉を獲得した。私は今にして思えば、こちらの句より掲出句のほうに愛着があるし、奥行きがある。いきなりの「あ」にまず意表をつかれた。そして何が「そうか」なのか、第三者にはわからない。つづく「そういうことか」に到って、ますます理解に苦しむことになる。「そういうこと」って何? この京の都の粋人にすっかりはぐらかされたあげく、「鰯雲」ときた。この季語も「鯖雲」も同じだが、扱うのに容易なようでいてじつは厄介な季語である。うまくいけば決まるが、逆に決まりそうで決まらない季語である。道太郎は過不足なくぴたりと決めた。句意はいかようにも解釈可能に作られている。そこがしたたか。はぐらかされたような、あきらめきれない口惜しさ、拭いきれないあやしさ・・・・七十歳まで生きてくれば、京の都の粋人にもいろんなことがありましたでしょう。はっきりと何も言っていないのに、多くを語っているオトナの句。そんなことどもが秋空に広がる「鰯雲」に集約されている。「うふふふ すすき一本プレゼント」他の句をあげて、小沢信男が「この飄逸と余情。初心たちまち老獪と化するお手並み」(句集解説)と書く。老獪じつに老獪を解す! 信男の指摘は掲出句にもぴったしと見た。『多田道太郎句集』(2002)所収。(八木忠栄)


February 1022010

 猪突して返り討たれし句会かな

                           多田道太郎

太郎先生が亡くなられて二年余。宇治から東京まで、熱心に参加された余白句会とのかかわりに少々こだわってみたい。「人間ファックス」という奇妙な俳号をもった俳句が、小沢信男さん経由で一九九四年十一月の余白句会に投じられた。そのうちの一句「くしゃみしてではさようなら猫じゃらし」に私は〈人〉を献じた。中上哲夫は〈天〉を。これが道太郎先生の初投句だった。その二回あと、関口芭蕉庵での余白句会にさっそうと登場されたのが、翌年二月十一日(今からちょうど十五年前)のことだった。なんとコム・デ・ギャルソンの洋服に、ロシアの帽子というしゃれた出で立ち。これが句会初参加であったし、宇治からの「討ち入り」であった。このときから俳号は「道草」と改められた。そのときの「待ちましょう蛇穴を出て橋たもと」には、辛うじて清水昶が〈人〉を投じただけだった。「待ちましょう」は井川博年の同題詩集への挨拶だったわけだが、博年本人も無視してしまった。他の三句も哀れ、御一同に無視されてしまったのだった。掲出句はその句会のことを詠んだもので、「返り討ち」の口惜しさも何のその、ユーモラスな自嘲のお手並みはさすがである。「句会かな」とさらりとしめくくって、余裕さえ感じられる。句集には「余白句会」の章に「一九九五年二月十一日」の日付入りで、当日投じた三句と一緒に収められている。道草先生の名誉のために申し添えておくと、その後の句会で「袂より椿とりだす闇屋かな」という怪しげな句で、ぶっちぎりの〈天〉を獲得している。『多田道太郎句集』(2002)所収。(八木忠栄)




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