August 2181998

 また微熱つくつく法師もう黙れ

                           川端茅舎

躯にして精悍。たった三センチほどの蝉のくせに、突然大声をはりあげるのだから、病気がちの人にとってはたまらないだろう。こ奴め、どんな姿をしているのかと、少年時代にひっとらえてまじまじと見つめた覚えがあるが、その意外な小ささと透明な羽根の美しさに驚いたものだった。「法師」の名は、鳴き声からきているという。が、蝉の仲間から言わせれば、法師は法師でも、むしろやんちゃ坊主の類に入れられるのではあるまいか。「法師」というだけで、夏目漱石のように「鳴き立ててつくつく法師死ぬる日ぞ」という無常感につなげて詠む人が、いまでも多い。しかし、この句の作者は「法師」もクソもあるものかと、大いに不機嫌である。どちらも感じたままを詠んでいるとして、胃弱の漱石がこの対比のなかでは、はからずも健康者の感覚を代表してしまっているところが皮肉である。つまり、人生の無常などにしみじみと思いをいたすのは、健康体の人間によってはじめて可能だということであり、病人にはそんな心の余裕はないということだ。文学や文化の九割以上が健康者のためのものとしてあることを、病気がちの人でも気がついているかどうか。(清水哲男)




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