August 1981998

 無職なり氷菓溶くるを見てゐたり

                           真鍋呉夫

職は、人を茫然とさせる。何度か失職の体験があるので、この句はよくわかる。いざ無職になってみると、社会というものが、職のある人たちだけでできていることが骨身にしみてよくわかる。ブツブツ文句を言いながらも、会社に通うことでしか社会に参画できないのが、ほとんどの現代人なのだ。もとより、私も例外ではなかった。誰も助けてはくれない。などと泣き言を言う前に、無職になると、自分が何者であるかが全くわからなくなる。結構、コワい感覚だ。住むべきアパートもなく、日銭を稼いでは山手線のアイマイ宿を転々とした。そんな生活には、詩もなければヘチマもない。目の前の氷菓が溶けようがどうなろうが、関係はない。あったのは、茫然とした二十七歳の若さだけだった。そんな生活のなかで、ひょいと河出書房という出版社に拾われたことは、我が人生最高のラッキーな出来事だと思っている。その河出もすぐに倒産するのだが、束の間にもせよ、あんなに楽しい職場はなかった。真鍋呉夫さんにも、そのころお会いできた。「書かない作家」として有名で、この句を読むと、その当時の真鍋さんを懐しく思いだす。茫然としながらも、呑気に俳句なんかをひねるところが、いかにも真鍋さんらしいのである。『花火』(1941)所収。(清水哲男)




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