August 1781998

 朝の舟鶏頭の朱を離れたり

                           大串 章

霧のなかで、舟が静かに滑るように岸を離れていく光景である。清潔感に満ちた句だ。霧などとはどこにも書いてないけれど、岸辺の様子が「鶏頭の朱」だけに絞られていることから、読者は霧を思い浮かべるのである。すなわち、たちこめる霧が他の草や木を隠してしまい、作者には「鶏頭の朱」だけが鮮やかに見えているのだと……。自然がひとりでに描いた「山水画」の趣き。日中はひどく暑苦しく見える鶏頭も、ここではむしろ、ひんやりとしている。鶏頭がこのように、ひんやりと詠まれた例は少ない。少ないなかで、たとえば角川春樹に「鶏頭に冷えのあつまる朝かな」がある。悪くはない。が、着眼は鋭いとしても、いささか頭でこしらえ過ぎているのではなかろうか。この場合は、どうしても大串章の句のほうが一枚も二枚も上手(うわて)だと思う。自然をそのつもりでよく観てきた人には、頭や技巧だけではなかなか太刀打ちできないということだろう。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)




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