August 1481998

 荒海や佐渡によこたふ天河

                           松尾芭蕉

まりにも有名な句。そして、文句なしの上出来な句。スケールの大きさといい品格の高さといい、芭蕉句のなかでも十指に入る傑作だろう。この句は越後の出雲崎で詠まれた句と推定されているが、実はこのあたりの海の波は非常におだやかだったらしい。が、あえて芭蕉は「荒海」と詠んだ。なぜか。それは芭蕉の気持ちが、かつて「佐渡」に流された多くの罪人や朝敵の気持ちに乗り移っているからである。波は静かでも、彼らにとっては「荒海」以外のなにものでもない海なのであった。悲愴感に溢れる彼らの心境を天の川に昇華させた、寒気がするほどに凄い作品だと思う。このようなフィクションを、芭蕉は『奥の細道』のあちこちで試みていて、なかには無残にも失敗した作品がないわけではない。が、この句は格別だ。事実ではないからといって句をおとしめてはならないし、芭蕉だからといってすべての作品をありがたがってもいけない。この句を受けて、北原白秋は「海は荒海、向ふは佐渡よ」という書き出しの傑作歌謡『砂山』を書いた。しかし、そこでの白秋は文字通りの「荒海」として、芭蕉の海をとらえている。短慮なのだけれども、この短慮あっての白秋の天才があったと言うべきだろう。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます