August 0981998

 富士山頂吾が手の甲に蝿とまる

                           山口誓子

夏でも、富士山の頂上は寒い。「二度登る馬鹿」と言われて二度登ったことがあるので、とくに朝方の冷えこみ具合は忘れられない。そんなところに蝿がいるのは、確かに素朴な驚きだ。下界で想像すると、なにしろゴミ捨て場みたいな山でもあるから、蝿だっているさと思いがちだが、あの寒気のなかの蝿の存在はやはり珍しいのである。この句の前に「十里飛び来て山頂に蝿とまる」とある。自分もよく登ったものだが、蝿よ、お前もよくやったなあ。そんな感慨が自然にわいてきて、手の甲の蝿を払いもせずに見つめている図である。巨大な富士と微小な蝿との取り合わせも面白い。なんでもない句と言えば言えようが、この「なんでもなさ」のポエジーを面白がれるヒトにならなければ、この世を、死ぬまでほとんどなんでもないことの連続で通り過ぎてしまうことになる。誤解を恐れずに言えば、俳句は「なんでもない世」を面白く見つめるための強力なツールなのだと思う。ついでに余談的愚問だが、最近「富士額(ふじびたい)」の女性をとんと見かけないのは、ヘア・スタイルの変化によるものなのだろうか。『不動』所収。(清水哲男)




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