July 2871998

 英雄の息女の三人白夏服

                           中村草田男

戦前年の句。三人は「みたり」と読む。当時「英雄」といえば、戦死した人と解するのが普通であった。最近戦地で父親を失った娘たちが、三人ともいつもの夏と同じように、きちんと白い夏服を着用している。悲しみを払いのけるようなその凛とした姿に、作者はうたれている。これぞ「大和撫子」の鏡だと、大いに感じ入っている。ところで、こういう句は、実にコメントしにくい。なぜなら、この句は俳句の定型という以上に「時代の定型」を背負っているからだ。英雄の定義にしてからが「時代の定型」にしたがっているのだし、作者の心持ちも「時代の定型」につつまれており、もう一歩細かい心情には踏み込めないところがある。したがって、いまとなってのこの句は、一種の風俗詩としてしか読めないと言ったほうがすっきりしそうだ。作者はべつに時流におもねっているわけではないのだけれど、戦争に対して何も言っていないことも明白で、そこが限界ということになるのだろう。では、いまさら、なぜ、このような句を引いたのか。読み返しているうちに、上述の理由とあわせて、なんだかとても切なくなってきたからである。『来し方行方』(1947)所収。(清水哲男)




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