July 2471998

 三日月の匂ひ胡瓜の一二寸

                           佐藤惣之助

い。パッと見せられたら、誰もがウムと唸る句だろう。ほのかに匂うような三日月を指して、一二寸の胡瓜のそれに似ていると言うのである。作者の才気煥発ぶりを感じさせられる。だが、この句には下敷きがある。一枚目のそれは其角の「梅寒く愛宕の星の匂かな」であり、二枚目のそれは芭蕉の「明ぼのやしら魚しろきこと一寸」である。下敷きがあっても構いはしないが、下敷きを知っている人には、どうしても原句にあるのびやかさが気になって、この句の空間が狭く思われてしまう。止むを得ないところだ。ところで、佐藤惣之助はご存じ「赤城の子守歌」〔東海林太郎・歌〕など多くのヒット歌謡曲を書いた人で、いわば「殺し文句の達人」であった〔自由詩の詩人としても実績がある〕。この句も、実に小気見よく決まっている。いつの時代にも、またどんなジャンルにあっても、クリエイターが大衆に受け入れられるための条件のひとつは「換骨奪胎」の巧みさにあるようで、かつて一度も登場したこともないような新しい表現物は確実に置いてきぼりにされてしまうのが常である。ただし、問題はそうしたことを苦もなくやってのけられる才能の側にもないわけではなくて、詩人としての佐藤惣之助が忘れられようとしているのは、たぶん、そのあまりにも巧みな「換骨奪胎」による「殺し文句」のせいであろうかと思われる。溢れ出る才能にも、悲しみはある。(清水哲男)




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