July 0871998

 でで虫や父の記憶はみな貧し

                           安住 敦

生、小さな殻に閉じこもって生きる「でで虫(蝸牛)」。雨露をなめ、若葉を食べる。それが父親の貧苦の生涯を連想させるのである。作者に語ってもらおう。「中学の卒業式に、父は古いモーニングを着て参列した。わたくしは総代として答辞を読んだ。式が終わると親子は一緒に校門を出、通りがかりの蕎麦屋へ上って天ぷら蕎麦を食べた。お前、大学へいきたかったんだろうね、と父は思い出したように言った。でもいいんですよ、とわたくしも素直に答えた。済まないね、といって父は眼をしばたたいた。わたくしの思い出のうち最もさびしい父の姿だった」。大正十五年(1926)三月の話。したがって、卒業したのはもちろん旧制中学(東京・立教中学)だ。作者は十八歳。父親に対して「いやいいんですよ」というていねいな言葉づかいが、当時の父子の距離感を表している。私も、両親に対してはほとんどこのような言葉づかいで通してきた。親が率先して友だちのように振る舞うようになったのは、ほんの最近のことだ。教師においても、また然り。どちらがよいとは言えないけれど、親子の距離は自立への道の遠近を暗示しているようには思える。『暦日抄』(1965)所収。(清水哲男)




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