July 0771998

 鳶鳴きし炎天の気の一とところ

                           中村草田男

に最も多産だった草田男らしい晴朗な一句。炎天にげんなりするのではなく、むしろ烈日を快としている。慶応義塾の応援歌ではないが、まさに「烈日の意気高らかに」ではないか。鳶の鳴き声、その「一とところ」に「気」を感じたということは、すなわち作者一人(いちにん)の気力充実ぶりを表現しているのである。体調も、すこぶるよろしい。不調だったら、とてもこうは詠む気になれないだろう。生きていることへの喜びでいっぱいだ。このとき、作者の人生は全面的に肯定されている。草田男は常々「二百年は生きるつもりだ」と語っていたというが、自然へのこうした溶け込みようを見せられると、この言説にも素直に頷けるのである。同時期に発表された「炎天や鏡の如く土に影」にしても、微塵の自虐性もない。とりわけて近代の文芸においては「自虐」の分量が芸術的な価値につながるようなところがあり、それはまた歴史的な必然ではあるのだけれど、ときにこのような文芸的発想も見直しておく必要がある。さらに一句。「妻戀し炎天の岩石もて撃ち」。いずれも、草田男壮年三十八歳の作品である。『火の鳥』(1939)所収。(清水哲男)




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