June 3061998

 外を見る男女となりぬ造り滝

                           三橋敏雄

女の機微に疎い人は(といって、私が敏いというわけではありません。念の為)、二人が仲違いしたのかと誤解するかもしれない。事実はその逆で、いうところの「深い仲」になった感慨が詠まれているのである。新婚なのか不倫なのか、はたまた行きずりの恋なのか。定かではないけれど、いや、そんなことはどうでもよろしいのであって、とりあえず旅館というような場所では、外を見るしか所在のないのがこういうときである。二人は、べつに滝を観賞しているわけではない。宿屋がこれみよがしに造成した滝が、いちばん目立つので、仕方なく目をやっているだけの話だ。それにしても、この国の宿屋の庭には悪趣味が目立つ。造り滝といい枝々をひねくりまわした松といい、さらには死にそうな鯉を泳がせている池といい、あれらは全体いかなる美意識の産物なのであろうか。そんな野暮な庭のおかげをこうむるのは、こういうときだけだ。つまり、悪趣味も人助けになるときもあるということ。が、その庭すらも存在しない現今のラブホテルでは、こんなときの二人はどうするのだろうか。たぶん、見たくもないテレビのスイッチを入れて、外を見ている気分になるのであろう。『まぼろしの鱶』(1966)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます