June 2561998

 冷奴酒系正しく享け継げり

                           穴井 太

父も大いに飲み、父もまた酒好きだった。そしてこの私においても、酒系は見事にも正しく受けつがれている。血は争えない。冷奴で一杯やりながら、作者は真面目な顔で感じ入っている。といって、別に感心するようなことでもないが、この自己納得の図はなんとなく可笑しい。酒飲みという人種はまことにもって仕様がないもので、いちいち飲む理由をつけたがる。冠婚葬祭なら大威張りで飲めるが、そうでないときは隙あらば飲みたいがために、いつも理由を探しまわっている。しかし、結局は何だっていいのだ。そんなことは当人も百も承知であるが、一応理屈をつけておかないと、はなはだ飲み心地がよろしくない。世間に対して(たいていの場合、世間とは連れ合いのことである)後ろめたい。したがって、付き合いで(つまり、仕方なく)飲むというのが、理由のなかでも高い位置を占めるのであり、句のような一人酒ではこれも通用しないから、究極的には酒系に落ち着くことになる。ご先祖のせいにしてしまう。同じ作者で、もう一句。「筍さげ酒にすべきか酒にする」。筍のせいにしている。『原郷樹林』(1991)所収。(清水哲男)




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