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June 1961998

 あひみての後の日傘をひるがへす

                           中尾杏子

作だと思う。情景としては、人と会った後で別れ際にさっと日傘をひるがえしたという女性の仕種を詠んでいる。これだけでも十分に華麗な身のこなしが伝わってくるが、それだけではない。百人一首でおなじみの「逢見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」(権中納言敦忠)の「あひみての」を踏んでいて、この言葉は会っていた相手と自分との関係を示唆している。すなわち「あひみる」は、たとえば『徒然草』に「男女の情けも、ひとへにあひみるをばいふものかは」とあるように、事は「男女の情け(男女の契り)」に関わっているのであり、ここを踏まえて読むと、句は日傘をひるがえす女の心理にまで到達していることがわかる。別れがたいところを、日傘をひるがえすことにより相手との関係を断ち切った……。そんな心理が魅力的に描かれている。作者には他に「惜春の真赤な卓に身を溶かす」などがある。この句もまた情意に満ちていて、凡手ではないことをうかがわせる。情景へのアクセスが素早く、しかも人間的に極めて美しいアクセス・アングルだ。「俳句文芸」(1998年6月号)所載。(清水哲男)


July 1371998

 けふのことけふに終らぬ日傘捲く

                           上田五千石

日中にやっておかなければならないことを、結局は果たせなかった。といっても、そんなに大きな仕事ではない。ちょっとした用事や挨拶など。帰宅して日傘を捲きながら、少し無理をしてでも終わらせておけばよかったのにと、軽い後悔の念にとらわれている状態だろう。そうした思いを断ち切るかのように、キリッと傘を捲き上げるのだ。こういうことは、よくある。少なくとも、私にはよく起きる。しかし、世の中には恐ろしいほどにスケジュールに忠実な人もいて、きちんきちんと仕事や用事をこなしていく。その様子は傍目で見ていても気持ちがよいものだが、どうしても私には真似ができない。生来のモノグサということもあるけれど、突然スケジュールにはなかったスケジュールが出てくることが多く、その枝葉のほうのスケジュールに没入してしまいがちからだ。パソコンで手紙を書こうとして、ふとやりかけていたゲームの続きにはまりこんでしまうようなもので、こうなるともうイケない。日傘を捲くどころか、日傘の存在すら失念してしまうのである。『俳句塾』〔1992〕所収。(清水哲男)


June 2561999

 古日傘われからひとを捨てしかな

                           稲垣きくの

立てに、いつの間にか使わなくなった日傘が立ててある。気に入っていたので、処分する気にならぬままでいたのだが、もう相当に古びてしまった。普段はさして気にもならないのだけれど、日傘の季節になると、かつての恋愛劇を思い出してしまう。あのときは、きっぱりと私の方から別れたのだ。捨てたのだと……。その人のことを懐しむというのではなく、若き日の自分の気性の激しさに、あらためて感じ入っているというところだ。たしかに我がことには違いないが、どこか他人事のような気もしてくる。「捨てしかな」という感慨に、帰らぬ青春を想う気持ちも込められている。松浦為王に「日傘開く音はつきりと別れ哉」があり、こちらは未練を残しつつも捨てられた側の句だ。あのときの「パチン」という音が、いまだに耳に残っている。二人の作者はもとより無関係だが、並べてみると、なかなかに切ない。日傘一本にも、ドラマは染みつく。女性の身の回りには小物も多いので、この種のドラマを秘めた「物」の一つや二つは、処分できないままに、さりげなくその辺に置いてあるのだろう。下衆(げす)のかんぐりである。(清水哲男)


July 3171999

 坂の上日傘沈んでゆきにけり

                           大串 章

暑の坂道。はるかに前を行く女性の日傘が、坂を登りきったところから、だんだん沈んでいくように見えはじめた。ただそれだけのことながら、真夏の白っぽい光景のなかの日傘は鮮やかである。光景の見事な抽象化だ。ところで、ここ数年の大串章の句には、切れ字の「けり」の多用が目立つ。長年の読者兼友人としては、かなり気になる。「けり」は、決着だ。巷間に「けり」をつけるという文句があるくらいで、「けり」はその場をみずからの意志によって、とにもかくにも閉じてしまうことにつながる。閉じるとは内向することであり、読者にはうかがい知れぬところに、作者ひとりが沈んでいくことだ。もとより「けり」には、連句の一句目(発句)を独立させるのに有効な武器として働いてきた歴史的な経緯があり、その意味で大串俳句はきわめてオーソドックスに俳句的な骨組みに従っているとは言える。が、社会的に連句の意識が希薄ないま、なぜ「けり」の頻発なのだろうか。句の日傘を私は女性用と読んだけれど、そんなことを詮索する必要などないと、この「けり」が告げているような気もする。坂の上で日傘が沈んだ……。それで、いいではないか、と。この光景の抽象化は、この「けり」のつけ方は、作者の人知れぬ孤独の闇を暗示しているようで、正直に言うと、私にはちょっと怖いなと思っている。新句集『天風』(1999)所収。(清水哲男)


May 1952002

 昼が夜となりし日傘を持ちつづけ

                           波多野爽波

生として京都に移り住んだとき、関西の男がよく日傘をさしているのを見て、軽いカルチャー・ショックを受けたことを思い出した。さすがに若者はさしていなかったが、老人には多かった。夜の日傘。これぞ、絵に描いたような無用の長物だ。捨ててしまうわけにもいかず、何の役にも立たない長物を持ち歩く鬱陶しさ。句の様子からして、昼間もあまり使わなかったのかもしれない。不機嫌というほどでもないが、なんだか自分が馬鹿みたいに思われてくる。周囲の人たちは傘を持たずに歩いているので、余計にそう感じられる。たった一本の傘でも、さざ波のように苛立つ心。とくに傘嫌いの私には、よくわかる句だ。しかも、第三者たる読者には、なんとなく滑稽にさえ読める。以下、参考までに日傘の成り立ちを『スーパー・ニッポニカ2002』(小学館)より引き写しておこう。「元来は子供のさすものであった。江戸時代初期、男女ともに布帛(ふはく)で顔を包み隠すことが行われ、これを覆面といって、外出には欠くことのできないものであった。ところが17世紀中ごろ、浪人たちによる幕府転覆計画が発覚し、幕府は覆面の禁令を発布した。このため男女ともに素顔(すがお)で歩かざるをえなくなり、笠のかわりに、大人も日傘を用いるようになった。女性のさし物として日傘が定着したのは、宝暦(ほうれき)年間(1751〜64)からである」。イスラム教徒の女性が顔を隠す風習を奇異と見るのは、どうやら筋違いのようですね。『舗道の花』(1956)所収。(清水哲男)


June 1662002

 国あげてひがし日傘をさしゆけり

                           大井恒行

くは、わからない。が、ずうっと気になっていた句。漠然とした理解では、「国あげて」同じ一つの方向(ひがし)に日傘の行列が歩いていくということだろう。ぞろぞろと何かに魅入られたように、みなが炎天下を同じ方角を目指して歩いているイメージは、とても不気味だ。「国あげて」だから、一億の日傘の華が開かれている。「さしゆけり」ゆえ、もはや後戻りはできない行列である。すでに出発してしまった以上は、もう誰にも止めることはできない行進なのだ。では、何故「ひがし」なのか。「日出づる処の天子」の大昔より、この国の為政者にとって東方に位置することそれ自体が価値であり、プライドの源であった。たとえば明治節の式歌にも「アジアの東、日出づるところ、ひじり(聖)の君のあらはれ(現れ)まして、……」とあって、とにかく東方は特別な方角なのだ。逆に西方には十万億土があるわけで、こちらは死後の世界だから暢気に日傘などさして行ける方角ではないだろう。つまり掲句は、国民があげて無自覚に一つの方向に引きずられていく状況を、比喩的に語っている……。ただ、よくわからないのは「ひがし」の用法だ。「ひがし」は「東」であるとしても、「ひがし『へ』」とは書いてない。もしも、この「ひがし」が方角を表していないのだとすれば、私の漠然たる理解も完全に吹っ飛んでしまう。何故、中ぶらりんに「ひがし」と吊るしてあるのだろうか。ぜひとも、読者諸兄姉の見解をうかがいたいところだ。『風の銀漢』(1985)所収。(清水哲男)


May 1352003

 昂然と仏蘭西日傘ひらきけり

                           櫂未知子

まどきの男は「日傘」はささない(昔の関西では、中年以上の男もよくさしていた)ので、「ひらきけり」の主体は女性だ。ところで、開いたのは作者自身だろうか、それとも目の前の相手だろうか。ふつう「昂然と」は他者に用いる言葉だと思うけれど、この句では自分の気分に使われたと読むのも面白い。なにしろそこらへんの日傘とは違って、「仏蘭西(フランス)」製なんだもんね。周囲に人がいるかいないかに関わらず、これみよがしにさっと開く気持ちには、昂然たるものがあるだろう。いざ出陣という気分。これが目の前の相手が開いたとすると、どこか尊大に見えてイヤ〜な感じ……。どちらだろうか。いずれにしても、人が日ごろ持ち歩くものには、単なるツールを越えた意味合いが付加されている。愛着もあるしお守り的な意味があったり、むろん見栄を含む場合もある。掲句の主体が誰であるにしても、言わんとすることはそういうことだろう。日傘は、単に陽射しを遮れはいいってものじゃないんだ。掲句を読んですぐに思い出したのが、津田このみの一句だった。「折り合いをつけにゆく日やまず日傘」。これも良い句だ。この日傘もツールを越えて、防御用か攻撃用か、とにかく作者はほとんど武器に近い意味合いを含ませている。男で思いつく例だと、ニュースキャスターの久米宏がいつも持っているボールペン(かな?)がそうだ。彼はあれでメモをとるわけじゃない。そんな場面は一度も見たことがないし、そんな必要もない。でも、片時も手放さないのは、彼にはきっとお守りか武器の意味合いがあるからなのだろう。『蒙古斑』(2000)所収。(清水哲男)


July 2972003

 鱶の海青きバナヽを渡しけり

                           杉本禾人

語は「バナヽ(バナナ)」で夏。「バナヽ」の表記からもわかるように、古い句だ。虚子が書いた「ホトトギス」の雑詠評『進むべき俳句の道』(角川文庫・絶版)に出てくるから、どんなに新しくても大正初期までの作品である。虚子はこの句を「繪日傘に百花明るき面輪哉」などとともに、作者が色彩に敏感な例として選んでいる。以下は、虚子の解釈だ。「鱶(ふか)のたくさんゐる大洋をたくさんの青い芭蕉の實を乘せた船が航海しつつあるといふのであるが、それを大洋ともいはず、汽船ともいはずただ鱶の海といひ、青きバナヽを渡したといふところにこの句の特別な感興はある。これも畢竟作者の感興は、バナヽの青い色にあつて、それを乘せてゐる船などはこれを問ふ必要はなく、また大洋もこの場合他の性質を持出す必要はなく、鱶のたくさんゐるやうな恐ろしい海であることだけを現はせば十分なのであつて、その鱶のゐるやうな大洋の上を、もぎたての青いバナヽは南の島から北の國へと運ばれつつある、といつたのである」。とくに異議をさしはさむところのない解釈だ。ただ面白いなと思うのは、この句が発想を得た実際の光景がどんなふうであるのかを、虚子が躍起になって説明している点である。この句だけをポンと出されたとすると、瞬間、誰にもかなり特異なイメージが浮かんでくるはずだ。私などは句そのままに、凶暴な鱶の群れる海の上を呑気な感じで巨大な青いバナナが渡って行く絵を想像してしまった。つまり、シュルレアリスムの絵か、あるいは現代風なポップ感覚のそれをイメージしたわけで、その意味から悪くないなと思ったのだが、作者が句を書いたころには、むろんそんな絵は存在しない。だから虚子は、掲句をそのまんまに突飛なイメージとして読んではいけない、元はといえばごく普通の情景を詠んだものだからと、口を酸っぱくしているのだ。この句が現代に登場したとするならば、おそらくはそのまんまの姿で楽しむ読者が大半だろう。もはや、虚子の躍起の正論は通用しないのではあるまいか。すなわち、句の解釈もまた世に連れるということである。(清水哲男)


June 1462005

 目まといの如く前行く日傘かな

                           日高二男

語は「日傘」で夏。「目まとい(目纏い)」は、夏の野道などで目の前を飛び交いつきまとうユスリカなどの小虫を言い、これも夏の季語だ。「まくなぎ」とも。人同士がやっとすれ違えるほどの細い道を、作者は少し急ぎ足で歩いているのだろう。ところが前を行く「日傘」の女性が、右に左に揺れるように歩いていて、なかなか追い越せない。その彼女の様子がまるで「目まとい」のようだなと、ふと思いつき、苦笑している図だ。我が家の近所の歩道もかなり細いので、こういうことがまま起きる。よほど急いでいるときには「すみません」と声をかけざるを得ないけれど、たいていの場合には仕方なく二三歩離れてついていく。そのうちに気づいてくれるだろうと思い、むろん気づいてくれる人のほうが多いのだが、なかにはまったく背後の気配を感じない人もいたりして、苦笑が苛立ちになることもある。おそらく何か考え事をしているのか、一種の放心状態にあるのか、べつに鈍感というわけではないのだろうが、天下の往来にはいろいろな人が歩いているものだ。それにつけても細い道では、歩行者ばかりではなく自転車の人も加わるので、苛立ちどころか物理的な危険を感じることもある。夜中に背後から無灯火ですうっとやってきて、ベルも鳴らさずものも言わずにすり抜けていく奴がいる。先方にはこちらが「目まとい」なのだろうが、それとこれとは話が別だ。『四季吟詠句集19』(2005・東京四季出版)所載。(清水哲男)


May 2452010

 臨時総会なる薄暗がりに日傘

                           渡辺誠一郎

う四十年以上も前のことを思い出した。在勤していた河出書房が倒産し、臨時の株主総会が開かれたのは青葉の季節だった。私は組合の書記長という立場から傍聴することになり、すさまじい怒号の飛び交う会合を体験したのだった。窓外の初夏の陽光とは裏腹に、会合は最後まで重苦しくやりきれない雰囲気に包まれた。会社側の社長以下重役陣はひたすら謝りつづけ、株主はひたすら怒鳴りまくり、しかしそんななかにも僅かながら冷静な株主もいて、それらの人がみな業界大手に属すると知れたときには、いっそうやりきれなさが募ったことも思い出された。句の臨時総会の中身はわからないが、「臨時」と言う以上、何かただならぬ事態が想像される。決して明るい総会ではあり得ない。作者の立場も読めないけれど、誰が立てかけたのか、会場の隅の薄暗がりに日傘があるのに気がついた。まったく事態は日傘どころではないのに、そんな個人的な日除けなんぞはどうでもよいときに、どういう了見からか、何事もないかのように持ち込まれた一本の日傘。日傘に罪は無いのだが、なんだか不適切、不謹慎にさえ思えてくる。一本の平凡な日傘も、ときに思わぬことを語りはじめるのである。「週刊俳句 Haiku Weekly」(第161号・2010年5月23日)所載。(清水哲男)


August 0382013

 美術館より白日傘黒日傘

                           浦川聡子

み手それぞれの中に浮かぶ絵画の色彩と、ひとつまたひとつと開いてはゆっくりと行く日傘の白と黒、その対比が美しい。美術館より、ということは、作者はこれから美術展に行くところで、少し離れたところから出てくる日傘を見ているのだろうか。それとも、美術展を見終わって、その余韻の中で自身も日傘を開きつつ歩き出したのだろうか。いずれにせよ、白と黒を詠むだけで限りない彩りを感じさせる句だな、と印象深かったのだが、今回読み直したところ集中の前後の句から見て、秋それも深まった頃の作と思われる。それならきっと遠景、秋日傘に色濃く日が差し深い空の青に紅葉や黄葉が映えてますます美しい。分類は夏季になると思われ、立秋前の最後の一句とした。『眠れる木』(2012)所収。(今井肖子)


May 2652015

 日傘差す人を大人と呼ぶ人も

                           杉田菜穂

焼けが大敵だと思うようになってからずいぶん経つが、たしかに20代前半は無防備に日に焼け、それほど後悔することもなかった。身軽が一番な年頃では雨も降っていないのに傘を差すなど、到底考えられないことだった。日傘は手がふさがるし、閉じたら閉じたで荷物になる。しかしその負担をおしてでも、年々歳々太陽光線は忌み嫌われ、しみしわ老化へ拍車をかける悪の根源として断固拒絶の意志をかためていく。大人とは衰えを自覚する人々のことなのだ。紫外線のUVAは5月がもっとも多いとされる。大人にとって油断大敵の今日この頃である。『関西俳句なう』(2015)所載。(土肥あき子)


June 2862015

 この街に生くべく日傘購ひにけり

                           西村和子

がスタートしています。前向きな明るさに、元気をいただきました。作者は横浜育ちのようですが、たぶんご主人の仕事の都合で大阪の暮らしが始まったのでしょう。句集には「上げ潮の香や大阪の夏が来る」「大阪の暑に試さるる思ひかな」があり、そのように推察します。「生くべく」で語調も強く意志を示し、「購(か)ひにけり」で行動をきっぱり切る。動詞を二語、助動詞を三語使用しているところにこの句の能動性が表れています。それにしても「日傘購ひ」は、男にはほとんどない季語の使い方で、いいですね。素敵な日傘を購入したことでしょう。句集では「羅(うすもの)のなよやかに我を通さるる」が続き、大阪の街を白い日傘をさして、女性らしい張りをもって歩く姿を読みとります。『かりそめならず』(1993)所収。(小笠原高志)


July 2272015

 吾妹子も古びにけりな茄子汁

                           尾崎紅葉

書に「対膳嘲妻」とあるから、食膳で妻と向き合って、妻が作った茄子汁を食べながら、おれも年をとったけれど、若かった妻も年をとってしまったなあ、と嘲る気持ちが今さらのように働いている。「吾妹子」として妻に対する親愛の気持ちがこめられているから、そこに軽い自嘲が読みとれる。古女房が作る味噌汁は腕が上がってきて、以前よりずっとおいしくなっている。そのことに改めて気づいたのである。悪意や過剰な愛は微塵もない。これまでの道のりは両者いろいろあったわけだろうけれど、この場合、さりげなくありふれた夏の茄子汁だからいい。たとえば泥鰌汁や鯨汁では、重たくしつこくていけない。古びてさらりとした夫婦の「対膳」である。今の季節、水茄子、丸茄子、巾着茄子など、いろいろと味わいが楽しめる茄子が出まわるのがうれしい。唐突だが、西脇順三郎の「茄子」という詩に素敵なフレーズがある。「人間の生涯は/茄子のふくらみに写っている」と。凄い!「茄子のふくらみ」にそっと写るような生涯でありたいものだと願う。紅葉の他の句に「一人酌んで頻りに寂し壁の秋」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 1572016

 燕雀も鴻鵠も居る麦酒館

                           廖 運藩

燕雀」はツバメやスズメなどの小さな鳥のことで、転じて小人物をさす。「鴻鵠」は大鳥や白鳥など大きな鳥のことで、転じて大人物をさす。小人(しょうじん)も大人(たいじん)も一つ屋根の麦酒館に居てわいわいがやがやとやっている図である。『史記』に「磋呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とあり、小さな者にどうして大人の志が解りましょうやとの原典をよりどころにしている。中国の陳渉が、若いころ農耕に雇われていたときに、その大志を嘲笑した雇い主に向かって言ったことばとされている。小生の酔眼によればいずれ飯を喰らい糞を垂れるただのお仲間に過ぎないのではあるが。他に<すぼみ行く麦酒の泡や朋の老い><酔ひどれの生き血吸ひたる蚊の不覚><絵日傘やをみな骨までおしやれする>などあり。俳誌「春燈」(2015年9月号)所載。(藤嶋 務)




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