June 1661998

 団扇膝に立て世界は左右に分れけり

                           上野 泰

扇(うちわ)が世界を二つに分けるという発想は、上野泰の感性ならではのものだ。文句なしに面白い。ただし、面白いと感じるのは、ほとんどそれとは意識せずに、私たちもまた日常的にこういうことをやっているからだろう。剣客の塚原卜伝は背後から打ち込まれたとき、咄嗟に目の前の鍋の蓋を防具にしたというが、そこまで実践的とはいかずとも、人が手にする物は本来の用途とは異なる精神的心理的な防具や武器などになる場合がある。たとえば、ニュースキャスターでいつも鉛筆を持って放送している人がいる。あれはメモを取るという本来の用途とは別に、彼の鉛筆には剣の意味もあるわけで、心理的な自己防衛のための小道具なのである。見ていると、後者の役割のほうが大きいことがわかる。そういうことの延長上に、この団扇も別の意味をもって現象しており、世界を真二つに切断する強力な刃、ないしは巨大な壁のように機能している。かくのごとくに団扇一枚で世界を左右に分ける男もいれば、団扇の持ちようで全身を完璧に隠せる女もいる……。すなわち、小は大を兼ねるのである。『春潮』(1955)所収。(清水哲男)




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