June 1561998

 夕釣や蛇のひきゆく水脈あかり

                           芝不器男

格的な釣りの体験はないが、それでも句の情景はよくわかる。夕暮れ時の川面は、あたりが暗くなってきても、しばらくは明るいのである。その静かに明るい川面を、音もなくすうっと蛇が横切っていった。ひいている一筋の、ひときわ明るく見える水脈(みお)でそれと知れるのだ。それだけのことしか言ってはいないが、読者には川の雰囲気やそのあまやかな匂いまでが伝わってくる。なつかしい気までしてくる。芝不器男はトリビアルな素材を詠んで、その場の全体像を彷彿とさせる名人だった。つとに有名な「麦車馬に遅れて動き出づ」なども一例で、映画のスローモーション場面を見ているようである。これだけで麦秋の農村風景を書き切っている。不器男は愛媛の人。東京大学農学部や東北大学工学部で学んだが、いずれも卒業するにいたらず帰郷。1930年(昭和5年)に、二十七歳にも満たない若さで亡くなった。したがって句数も少なく、現在入手可能な本としては、飴山實が編んだ『麦車』(ふらんす堂・1992)の209句で全貌を知ることができる。(清水哲男)




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