June 1261998

 提燈花要所に点る城の径

                           甲斐遊糸

燈花は釣鐘草ともいい、蛍袋の名でも知られる。先の二つは花の形状からの命名で、蛍袋はこの花に蛍を入れて遊んだことから名付けられたようだ。などと書くと、いかにも物知りみたいだが、提燈花をそれと意識して見たのは最近のことだ。この花のことは以前から気になっていて、よく行く野草園の植えられている場所まで知っているのだが、花季にめぐりあったことがなかった。ところが先日、放送局の応接机に何気なく目をやると、なんとたくさんの提燈花が無造作に活けられてあるではないか。誰に名前を聞かなくても、私にはすぐにわかった。ちょっと興奮した。その興奮の余韻で、実はこの句を角川版の歳時記から引いたのだが、なるほどこの見立ては面白い。城への径には、あたかも人が要所に提燈を配置したように提燈花が点(とも)っていたというのである。見立ては、下手をすると大野暮になる。その意味からすれば,この句は、野暮ギリギリのところでの寸止めが小気味よく利いていると思う。これ以上突っ込んだら、あざとくなる。作者は大串章主宰「百鳥」同人。(清水哲男)




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