May 3051998

 麥爛熟太陽は火の一輪車

                           加藤かけい

読、ゴッホの絵を連想した。ここにあるのはゴッホの太陽と、ゴッホ的な気質である。爛熟した麥の穂波にむせ返るような情景が、ぴしりと捉えられている。実際の麦畑に立った者でなければ、このような押さえ方はできない。「麦の秋」などと、多くの俳人は遠目の麦畑を詠んできた。作者については長谷部文孝氏の労作『山椒魚の謎』(環礁俳句会・1997)に詳しいが、同書によれば、この句には西東三鬼門の鈴木六林男から早速イチャモンがついた。「モチーフを明確に表出したとき、このようなことになる。俳句はこゝからはじまり、これは俳句ではない。感覚から表現へのプロセス作業を途中でナマけた天罰である」(「天狼」1963年11月号)。こんなふうに言われたら、私などは再起不能になりそうな酷評だが、私はこのときの六林男には与しない。簡明直截にして、しかも抽象化された世界。とても「感覚から表現へのプロセス作業を途中でナマけた」結果とは思えないからである。『甕』(1970)所収。(清水哲男)




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