May 2951998

 紙魚ならば棲みても見たき一書あり

                           能村登四郎

環境の変化のせいだろうか。最近は、めったに紙魚(しみ)を見かけることもなくなった。住環境の変化ばかりではなく、もっと大きな自然の働きによるものかもしれない。なにしろ人間サマの精子が激減しているというご時世だから、紙魚などの下等な虫が生きていくのは、さぞや大変なことなのだろう。じめじめとした暗いところを好み、本であれ衣服であれ、澱粉質のものにならば何にでも食らいつく(衣服についたほうの虫は「衣魚」)。仮に自分がそんな虫だったら、ぜひとも住んでみたい本があるという句だ。このとき、作者は78歳。それはどんな書物なのだろうか……。と、句の読者は必ず好奇心を抱くにちがいない。同時に、自分にもそんな本があるだろうか、あるとすれば、誰が書いた何という本なのか……と、自分自身に問いかけるはずである。もちろん私も考えたが、紙魚にまでなって住みつきたいと思う本はなかった。あなたの場合は、いかがでしょうか。『長嘯』所収。(清水哲男)




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