May 2751998

 シャボン玉吹く東京の風にのせ

                           小山 遥

者(女性)は高松市在住。履歴を見ると、生まれも育ちも高松だ。高松と聞くと、いつも私は故人となった詩友の佃学を思い出してしまう。彼は高松の田舎性を慨嘆しつつも、結局は愛して止まなかった。それはともかく、この句は高松から上京した際の寸感だろう。シャボン玉での遊び相手はお孫さんだろうか。ひさしぶりの邂逅を楽しんでいる場面だが、ここで作者が相手の存在をふっと瞬間的に忘失しているところに、句の輝きが読み取れる。東京という他郷の風にのせて、シャボン玉を吹いている自分という存在の不思議に、作者の気持ちが溶けこんでいる。旅先での句は世間に数えきれないほど多いが、他郷での発見を欲張りすぎる傾向があり、その点、この句は欲張っていない分だけ、逆に心象がよく伝わってくる。私のような東京人にも、あらためて「東京の風」を新鮮に思い起こさせてくれた佳句である。『ひばり東風』(1998)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます