G黷ェフ秋句

May 2351998

 麦の秋朝のパン昼の飯焦し

                           鷹羽狩行

だちゃんとしたトースターも、ましてや電気炊飯器もなかった時代。パンを焦したり飯を焦したりしているのは、新婚後間もない妻である。そんな新妻の失敗を仕様がないなと苦笑しながらも、作者はもちろん新妻を可愛く思っているのだ。おそらく窓外に目をやれば、黄色に熟した麦畑が気持ち良くひろがっていたのであろう。初夏の爽快な季節感も手伝って、結婚した作者の気持ちは浮き立っている。新婚の女性の気持ちはいざ知らず、結婚したてのたいがいの男は、このように妻の失敗を喜んで許している。そこが実は、その後の結婚生活のそれこそ失敗の元になるのだ……などと、余計なことを言い立てるのは愚の骨頂というものであって、ここはひとつ静かに微笑しておくことにしたい。ところで、立派なトースターや炊飯器の備わっている現代の新妻には、どんな失敗があるのだろうか。……と、すぐにまた野暮なことを言いかける我が野暮な性分。『誕生』(1965)所収。(清水哲男)


May 3051998

 麥爛熟太陽は火の一輪車

                           加藤かけい

読、ゴッホの絵を連想した。ここにあるのはゴッホの太陽と、ゴッホ的な気質である。爛熟した麥の穂波にむせ返るような情景が、ぴしりと捉えられている。実際の麦畑に立った者でなければ、このような押さえ方はできない。「麦の秋」などと、多くの俳人は遠目の麦畑を詠んできた。作者については長谷部文孝氏の労作『山椒魚の謎』(環礁俳句会・1997)に詳しいが、同書によれば、この句には西東三鬼門の鈴木六林男から早速イチャモンがついた。「モチーフを明確に表出したとき、このようなことになる。俳句はこゝからはじまり、これは俳句ではない。感覚から表現へのプロセス作業を途中でナマけた天罰である」(「天狼」1963年11月号)。こんなふうに言われたら、私などは再起不能になりそうな酷評だが、私はこのときの六林男には与しない。簡明直截にして、しかも抽象化された世界。とても「感覚から表現へのプロセス作業を途中でナマけた」結果とは思えないからである。『甕』(1970)所収。(清水哲男)


June 1561998

 夕釣や蛇のひきゆく水脈あかり

                           芝不器男

格的な釣りの体験はないが、それでも句の情景はよくわかる。夕暮れ時の川面は、あたりが暗くなってきても、しばらくは明るいのである。その静かに明るい川面を、音もなくすうっと蛇が横切っていった。ひいている一筋の、ひときわ明るく見える水脈(みお)でそれと知れるのだ。それだけのことしか言ってはいないが、読者には川の雰囲気やそのあまやかな匂いまでが伝わってくる。なつかしい気までしてくる。芝不器男はトリビアルな素材を詠んで、その場の全体像を彷彿とさせる名人だった。つとに有名な「麦車馬に遅れて動き出づ」なども一例で、映画のスローモーション場面を見ているようである。これだけで麦秋の農村風景を書き切っている。不器男は愛媛の人。東京大学農学部や東北大学工学部で学んだが、いずれも卒業するにいたらず帰郷。1930年(昭和5年)に、二十七歳にも満たない若さで亡くなった。したがって句数も少なく、現在入手可能な本としては、飴山實が編んだ『麦車』(ふらんす堂・1992)の209句で全貌を知ることができる。(清水哲男)


June 1261999

 アジフライにじゃぶとソースや麦の秋

                           辻 桃子

題は「麦の秋」で、夏。「秋」を穀物の熟成する時期ととらえることから、夏であっても「麦の秋」と言う。麦刈りの人の昼食だろうか。あるいは、労働とは無関係な人の、一面に実った麦を視野に入れながらの食事かもしれない。空腹の健康とたくましい麦の姿が、よく照応している。「さあ、食べるぞ」という気持ちが活写されていて、気持ちのよい句だ。ひところ話題になった「お茶漬けの友」のテレビCMの雰囲気に同じである。ソースをじゃぶとかけたら、後は一気呵成にかっこむだけ。健啖家は、見ているだけでも爽快だ。ところで、あのCMを見たドイツ人がイヤそうな顔をした。音を立てて物を食べることに抵抗があったわけだが、ビール天国のドイツのCMでは、咽喉を鳴らしてビールを飲むシーンなども皆無だという。日本だって、昔は蕎麦以外は音を立てないで食事をするのが礼儀だった。それが、いつしか安きに流れはじめている。で、もう一つの余談。私はアジフライにソースはかけない。醤油を使う。好みの問題だが、何かと言うと醤油を使う人が、我が世代には多い。子供の頃に、ソースが出回っていなかったせいだろう。(清水哲男)


May 2652000

 麦秋や自転車こぎて宣教師

                           永井芙美

の熟した畑が、四方にどこまでも広がっている。そのなかの道を、黒衣の宣教師が自転車でさっそうと行きすぎてゆく。薫風が肌に心地よい季節の情景を、いっそう気持ちよくとらえた句だ。ただし、読者がちょっと立ち止まるところがあるとすれば、「麦」と「宣教師」との取り合わせだろう。「一と本の青麦若し死なずんばてふ語かなし」(中村草田男)というキリスト教との関連だ。が、私はそこまでは踏み込まないでよいように思う。軽やかな宣教師の自転車姿が、麦秋の景観を引き立てている。そう、素朴に読んでおきたい。それよりも面白いのは、聖職者と乗り物との取り合わせに、なぜ私たちは着目するのかという点だろう。昔からなぜか、聖職に携わる人(この国では「教師」なども含まれる)には歩くイメージが固着している。乗る姿に違和感のないのは、聖職者が自分で運転しない自動車に乗っている時であるとか……。とにかく聖職者が自力で乗り物を動かすことに、庶民は違和感を感じてきたようだ。自分で乗り物をあやつる行為には、反聖的な軽薄さにつながるという認識でもあるのだろうか。馬車の時代の階級差への認識が、いまだに感覚として残っているのか。スクーターに乗った僧侶とすれ違うだけで、内心「ほおっ」と思ってしまうのは、私だけではないだろう。『福音歳時記』(1993・ふらんす堂)所載。(清水哲男)


May 2352001

 蒼き胸乳へ蒼き唇麦の秋

                           夏石番矢

ガとポジの対比の構図が印象深い。画家の色彩で言えば、ピカソの青(蒼)とゴッホの黄が一枚の絵に塗られている感じだ。「蒼き胸乳(むなぢ)へ蒼き唇」とは、男女相愛の図か、それとも授乳のそれだろうか。どちらに読むかは読者の想像力にゆだねられているが、前者とすれば、いわば「頽廃と健全」との対比となろうし、後者ならば「貧富」の差を象徴的に浮き上がらせた句と読める。私は、初見では前者と読んだ。しかし考え直して、あえて後者と読んでみると、貧しさゆえに満足に母乳の出ない乳首に、本能的に「唇」を寄せる赤子の姿が痛々しい。と同時に、蒼き「口」ではなく「唇」としたところに、なおさら本能の生々しさを感じさせられる。窓外一面に熟れて波打つ麦は、この母子には無縁の作物なのである。いずれにしても、テーマは動物としての人間の哀しみだろう。明暗を対比させた句は珍しくないが、単に明暗の対比に終わることなく、一歩進めて本能を繰り出すことにより、人間存在のありようを確かに言い止めている。これからの梅雨を控えて、農家は忙しくなる時期だ。麦は「百日の蒔き期に三日の刈り旬」と言う。麦畑が光彩を放つ季節だけに、掲句の「蒼」の鈍い光が、いよいよ重く胸に沁み入る。『猟常記』(1983)所収。(清水哲男)


May 2752002

 麦秋や江戸へ江戸へと象を曳き

                           高山れおな

象
語は「麦秋(ばくしゅう)」で夏。見渡すかぎりに黄色く稔った麥畑のなかを、こともあろうに象を歩かせるという発想がユニークで愉快だ。どんなふうに見えるのだろう。なんだかワクワクする。が、掲句は、空想句ではなく史実にもとづいた想像句だ。実際に、江戸期にこういう情景があった。以下は、長崎県の「長崎文化百選」よりの引用。「(象が)はっきり初渡来として歓迎されたのは、亨保十三年(1728年)将軍吉宗の時代に長崎に渡来したときである(松浦直治)という。 六月七日にオランダ船で長崎に着いた象は、雄と雌の二頭。雌の一頭は病気で死んだが。残った七歳の雄は将軍吉宗に献上のため翌十四年三月十六日長崎を出発。十四人の飼育係に交代で見守られながら、江戸まで三百里(約1200km)をノッシノッシと行進する。南蛮渡来のこの珍獣を一目見ようと、沿道は大変な騒ぎ。ずっと後世のパンダブームのような大フィーバーである。なにしろ巨体だから、橋も補強しなければならない。大井川はイカダを組んで渡す、といったありさま。そのころはもう江戸では象の写生図が早打ち飛脚で到着して一枚絵に刷られ、象の記事の載ったかわら版は、いくら刷っても売り切れ『馴象編』『象志』など象百科のような出版物は十数種に上ったという。 五月二十五日に江戸に着いた象は、浜御殿の象舎に入った。翌々日江戸城へ引き入れられ、吉宗は諸大名とともに象を見物した」。しかしこの象は、やがて栄養失調でやせ細り死んでしまったという。あまりの大食ぶりに、さすがの江戸幕府も持て余したようだ。図版は長崎古版画(長崎美術館蔵)より。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)


May 0252003

 原節子・小津安二郎麦の秋

                           吉田汀史

優と監督と映画の題名(正確には「麦の秋」ではなく『麦秋』[1951・松竹大船]だが)を並べただけの句だ。しかし、こうして並べるだけで、ある世界がふうっと浮かんでくるのだから不思議だ。その意味で、手柄はやはり並べてみせた作者にあると言うべきだろう。良し悪しや好き嫌いはともかくとして、血縁や地縁などがまだ濃密に個人に関わっていた時代の世界。そこに漂っている静かな空気は、小津が好んだ中流以上の階級のものではあるけれど、常に懐しさと優しさに満ちていて、よくぞ日本に生れけりの感を観客にもたらしたものだった。ご存知のように、小津映画にはさしたるドラマ性はない。『麦秋』は、婚期を逸した原節子(といっても、二十八歳という設定だ)が、周囲の暗黙の反対を押しきって、妻を無くした医師の後添えとして結婚を決意するというだけの話だ。小津は、このようなどこにでもありそな日常をきめ細かく丁寧に描くことで、凡百のドラマ映画をしのぐ劇映画を撮りつづけた。ストーリー性よりもディテールの描写を大切にしたところは、どこか俳句作りに似ていないだろうか。事実、小津は俳句もよくした人であり、百句以上の句が残っている。たとえば「小田原は灯りそめをり夕心」などは、あまりにも小津映画的な句と言ってよいだろう。映画のタイトルに「麦秋」「早春」「彼岸花」「秋日和」「秋刀魚の味」など季節の言葉が多いのも、俳句との仲の良さを色濃く感じさせる。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


May 0752004

 麦秋や教師毎時に手を洗ふ

                           堀内 薫

語は「麦秋(麦の秋)」で夏。感想を書こうとして、待てよと筆が止まった。なぜ教師が「毎時に手を洗ふ」のかが、若い読者にピンと来るだろうかと思ったからだ。「毎時に」は授業時間の区切りごとにということで、普通の感覚からすると、かなり作者は頻繁に洗っている感じを受ける。といってこの場合、べつに作者が特別に清潔好きだから洗うわけじゃない。むろん、気分転換の意味合いもあるだろうけれど、それだけではない。昔の教師は黒板に白墨(はくぼく)で板書きしたせいで、手が白墨の粉まみれになったから、一時限ごとに汚れを落とす必要があったのである。実用としての手洗いなのだ。いまはホワイトボードやグリーンボードに、粉の出ないチョークで文字などを書くのが普通だろう。おかげで粉まみれとは無縁になり、教師は劣悪な白墨禍から救われたというわけだ。したがって、いまの若者には掲句がよくわからないかもしれないと思った次第である。麦畑を一望できる学校。手を洗いながら、作者は麦の秋の情景を見ている。水稲の実りのころも美しいが、麦秋の情景には元気な光りがある。夏に向かって物みな育ち行く勢いを帯びた光りだ。新学期がはじまってクラスも落ち着き、授業にエンジンがかかってくるころでもある。そんな季節だから、手を洗う水の冷たさも心地よく、作者は充実した心境にある。そんな職業人としての喜びが、句の端に洩れ光っているのがわかる。『堀内薫全句集』(1998)所収。(清水哲男)


May 1052004

 ビール麦と聞けば一入麦の秋

                           酒井康正

ちめん、黄金色に染まった麦畑。作者はビール好きなのだろう。実っているのが「ビール麦」だと聞き知って、なおさらにその美しさが「一入(ひとしお)」目に沁みている。いや、既に喉元あたりに沁みているのかもしれない。と、これは冗談だが、私のようなビール党にはよくわかるし、嬉しい句だ。俗に言うビール麦は大麦の種類の一つで、通常は「二条大麦」という品種を指す。麦飯などに使う「六条大麦」よりも粒が大きく揃っていて発芽力も強いので、ビールの原料には適しているそうだ。これをモルツにしてからホップを加えて醸造するわけだ。ただ残念なことに、私はビール麦の畑を見たことがない。見ただけで小麦と大麦との識別がつくように、ビール麦かどうかはすぐにわかるものなのだろうか。調べてみると、二条大麦の大産地は北九州地方だという。ちょうどこの週末に久留米市に出かける用事があるので見てきたいが、この地方の二条大麦は醸造用ではない(家畜飼料用など)という資料もあって、このあたりは地元の人に聞いてみなければと思う。相棒のホップについては数年前に遠野市(岩手県)で見ることができ、それこそ「一入」目に沁みたのだった。ビールの本場ドイツのホップ畑の広大さは聞いているが、ビール麦畑もさぞや壮観だろうな。書いているうちに、ミュンヘンあたりの古い天井の高いビャホールで、楽士たちに「リリー・マルレーン」でもリクエストして一杯やりたくなってきた。「ゲルマン攻めるにゃ刃物はいらぬ、ビールがたっぷりあればいい」。イカン、イカン。『百鳥俳句選集・第1集』(2004)所載。(清水哲男)


May 2752005

 麦の秋一と度妻を経てきし金

                           中村草田男

語は「麦の秋」で夏。ちょうど今頃から梅雨入り前まで、麦刈りに忙しい農家も多いだろう。時間がなくて調べずに書いているのだが、句は作者が新婚間もない時期のものだと思われる。結婚すると独身時代とは違った生活の相に出会うことになるが、家計の管理もその一つだ。作者の場合はすべての金銭管理を妻にまかせたわけで、月々の小遣いも妻から渡してもらうことになった。自分が働いて得た金を妻経由で渡されることに、慣れない間は何か不思議なような照れくさいような感じを受けるものだ。と同時に、これが家庭を持つということ、一人前になるということなのだと、大いに納得できるのでもある。眼前には収穫期をむかえた麦が一面の金色に広がっていて、ポケットの財布のなかには妻から手渡されたばかりの金がある。作者はそのことにいい知れぬ充実感を覚え、いよいよ張り切った気持ちになってゆく自分を感じている。もっとも掲句は専業主婦が当たり前の時代のもので、いわゆる共働きが普通になってきている現代の新婚夫婦間には、こうした感慨は稀薄かもしれない。たとえどちらかがまとめて管理するとしても、お互いに所得があるのだから、金銭に関してはむしろドライな感覚が優先するのではあるまいか。作者の時代の夫婦間の金が湿っていたのに対して、現代のそれは乾いている。比喩的に言えば、そういうことになりそうだ。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 2852006

 クレヨンの黄を麦秋のために折る

                           林 桂

語は「麦秋、麦の秋」で夏。子どものころの思い出だ。ちょうど今頃の田園風景を写生していて、一面の麦畑を描くのに「クレヨンの黄」を頻繁に、しかも力を込めて描いていたので、ポキリと折れてしまった。「しまった」と思ったが、もう遅い。仕方なく、折れて短くなったクレヨンで描きつづけたのだろう。短いクレヨンは描きにくいということもあるが、子どもにとってのクレヨンは貴重品だから、まずは折ってしまったそのことに、とても動揺したにちがいない。それが証拠に、大人になっても作者はこうして、麦秋の季節になるとそのことを思い出してしまうのだから……。そんな子ども時代の失敗も、しかしいまでは微笑しつつ回顧することができる。過ぎ去れば、すべて懐かしい日々。年齢を重ねれば重ねるほどに、この思いは強くなってゆく。そういえば、昔のクレヨンは色数が少なかった。私の頃には、せいぜいが10色か12色。なかには6色なんてのも、あったっけ。だから、折ってしまうと余計に悲しくなったわけだが、私の娘の小学生時代になると、色数も増え豪華になった。娘がはじめてクレヨンを買った日に、私はしばらくうっとりと眺めた記憶がある。『銅の時代』(1985)所収。(清水哲男)

{掲句の解釈}読者の方から、わざとクレヨンを折って、すなわちエッジを立てて麦の穂を描いた。と、体験談をいただきました。そうですね、「麦秋のために」の「ために」は、「わざわざ」という意味を含みますから…。「麦秋のせいで」と解釈した私の解釈は、ゆらいできました。


May 1452007

 麦秋の人々の中に日落つる

                           吉岡禅寺洞

後平野の「麦秋」を見てきた。博多から鹿児島本線で南下して久留米に至る間の景色だから、正確にはちょっぴり佐賀平野も含まれるのかもしれないが、ともかく東京などでは見られない有無を言わせぬ広大な面積の麦の秋だった。作者は福岡の人だったので、句の情景もこのあたりのものだろうか。大勢の人々が麦刈りにいそしむ夕景だ。広大な麦畑の彼方で、日が没しようとしている。その広大さは「人々の中に」という措辞に暗示されているのであって、澄んだ初夏独特の空気もまた、同時に詠み込まれている。巧みな表現と言わざるを得ない。そして秋の落日とは違い、この季節にはゆっくりと日が没してゆくので、たとえばミレーの「落ち穂拾い」のような寂寥感はないのである。むしろ逆に、明日もまた明るくあるだろうという気分のする句であって、そこもまた心地よい作品だ。ご存知とは思うが、吉岡禅寺洞は無季句を提唱し、結社「天の川」を主宰、昭和11年に日野草城、杉田久女とともに「ホトトギス」、すなわち虚子から除名された俳人だ。掲句はそれ以前のものと思われるが、この句からもわかるように、「ホトトギス」にとっては口惜しくも惜しまれる才能であったには違いない。『俳諧歳時記・夏』(1951・新潮文庫)所載。(清水哲男)


June 0562007

 牛逃げてゆく夢を見し麦の秋

                           本宮哲郎

の秋は「秋」の文字を含みながら、夏の季語。麦の穂が熟すこの時期を、実りや収穫のシーズンである「秋」になぞらえて使っている。竹の春(秋)や竹の秋(春)なども、このなぞらえを採用する悩ましい季語だ。と、これは蛇足。さて、牛が逃げる夢を見た作者である。〈牛飼ひが牛連れ歩くさくらかな〉〈馬小屋をざぶざぶ洗ふ十二月〉など、新潟の地で農業を営む作者の作品に牛や馬が登場することはめずらしくないが、どれも事実に即した詠みぶりのなかで、夢とは意外であった。さらになぜ牛だったのだろう。馬では、颯爽としていて一瞬にして遠ざかってしまうだろう。引きかえ、おそらく立ち止まり振り返りしながら去っていく牛であることで、存在に象徴や屈託が生まれた。夢とはいえ、農耕の大きな働き手である牛を失う絶望感とともに、一切の労働から解放してあげたいという心理も働いているように思う。凶作や戦争の終わりを預言すると伝えられる「件(くだん)」は牛の姿をしているという。夢のなかにも現実にも、途切れず聞こえていたのは、さらさらと川の流れのような黄金色の麦畑に風が吹き抜ける音である。目が覚めてからもふと、夢のなかに置いてきてしまった牛の行方に思いを馳せる。『伊夜日子』(2006)所収。(土肥あき子)


May 3052009

 麦秋の縮図戻して着陸す

                           藤浦昭代

は夏に実りの季節を迎えるので、麦秋(ばくしゅう・むぎあき)は夏季。陰暦四月の異称でもあるという。二十年近く前、一面の麦畑に北海道で出会ったことがある。確か夏休みで7月だった。黄金色のからりとした風と草の匂いに、あ〜麦酒が飲みたい、と連想はそちらに行ってしまったが、風景ははっきり記憶にある。掲出句の作者は、ところどころに麦畑がある街から、初夏の旅に出たのだろう。少し傾きながら離陸する窓の中、みるみるうちに小さくなる家や畑。見渡す限りの緑に囲まれて、あちこちに光る麦畑が、遠くなるほどいっそうくっきり見える。上空からならではの、その離陸の時の感動を抱えたまま旅を終え、無事に着陸。縮図を戻しながら、色彩のコントラストと、何度体験しても慣れない着陸時のスリリングな心持ちを体感した。『ホトトギス新歳時記』(1986・三省堂)所載。(今井肖子)


July 1472009

 黒猫は黒のかたまり麦の秋

                           坪内稔典

の秋とは、秋の麦のことではなく、ものの実る秋のように麦が黄金色になる夏の時期を呼ぶのだから、俳句の言葉はややこしい。麦の収穫は梅雨入り前に行わなければならないこともあり、関東地域では6月上旬あたりだが、北海道ではちょうど今頃が、地平線まで続く一面の麦畑が黄金色となって、軽やかな音を立てていることだろう。掲句の「黒のかたまり」とは、まさしく漆黒の猫そのものの形容であろう。猫の約束でもあるような、しなやかな肢体のなかでも、もっとも流麗な黒ずくめの猫に、麦の秋を取り合せることで、唯一の色彩である金色の瞳を思わせている。また、同句集には他にも〈ふきげんというかたまりの冬の犀〉〈カバというかたまりがおり十二月〉〈七月の水のかたまりだろうカバ〉などが登場する。かたまりとは、ものごとの集合体をあらわすと同時に、「欲望のかたまり」や「誠実のかたまり」など、性質の極端な状態にも使用される。かたまりこそ、何かであることの存在の証明なのだ。かたまり句の一群は「そして、お前は何のかたまりなのか」と、静かに問われているようにも思える。『水のかたまり』(2009)所収。(土肥あき子)


January 0912010

 味噌たれてくる大根の厚みかな

                           辻 桃子

句なしに美味しそう。〈大根は一本お揚げ鶏その他〉の句と並んでいるが、いずれもとにかく美味しそうだ。この句の場合、味噌たれてくる大根、ときて、煮込んだ大根に味噌がかかっているのはわかるけれどまだそれだけで、厚みかな、としっかりした下五であらためてとろっと味噌がたれる。その絶妙の感覚が、こういう美味しそうな俳句の、写真にも文章にも真似のできない味わいだろう。じっくりこっくり煮込んだ大根に箸をゆっくり入れる。その断面にたれてくる味噌の香りと大根の匂いや湯気までが、それぞれの読み手の頭の中に映像として結ばれて、そのうちの何人かは、あ〜今日は大根煮よう、と思うのだ。この作者の、これまで増俳に登場した句には〈秋風やカレー一鍋すぐに空〉〈アジフライにじゃぶとソースや麦の秋〉などがあり、料理上手な作者が思われる。「津軽」(2009)所収。(今井肖子)


May 1552010

 麦秋をうすく遊んでもどりけり

                           伊藤淳子

句は自分にとって遊びかな、とふと思う。仕事と遊びに分類するなら、今もこれから先も間違いなく遊びだが、遊び、というと、ちょっと適当っぽいニュアンスが漂う。かといって、真剣な遊び、などという言い方はあまり好きではないし、と考えがまとまらない。掲出句、さらりとうすく遊んできたという作者である。麦秋、が心地よい時間を、もどりけり、がほどよい疲れを思わせる。たとえばそれが吟行旅行だとしても、ともかく何でも見ておかなくては、俳句にしなければ、などと考えず、目に映るもの、肌で感じるものを楽しみながら、時間の流れに身をまかせるような過ごし方のできる作者なのだ。やはり俳句は私にとっては、遊び、という言葉のゆとりの意味合いも含めて、一生楽しめる遊びだろう。『夏白波』(2003)所収。(今井肖子)


May 1752010

 胸を打つ麦秋の波焦げ臭し

                           櫻井ハル子

年この時期に久留米(福岡県)に出かけて行く。楽しみもいろいろあるけれど、その一つは、博多久留米間の鹿児島線の車窓に果てしない麦畑が展開していることだ。ちょうど「麦秋」の候。何度見ても、惚れ惚れするくらいに美しい。そんな景色を詠んだ句は枚挙にいとまがないが、掲句は麦秋を遠望したものではなく、麦秋のただ中にある人の句である。つまり麦刈りの現場をうたっていて、実はこうした句はあまり詠まれてこなかった。麦刈りにせよ田植えにせよ、多くの句は遠望の美というのか、労働現場から完全にはなれたところで詠まれている。戦後に流行した言葉を使うと、ほとんどが「青白きインテリ」の句になってしまっている。農家の子でもあった私には、いつもそのことが不満で、ひところは麦秋だろうが田植えだろうが、汗の匂いのしない句には単純に拒絶反応を起こしたものだ。農民には、美の享受の前に生活がある。苦しい労働がある。そのことに思いを馳せることなく「きれいだなあ」だなんて、ふざけるなと思っていた。芭蕉や蕪村の句だって、そういう観点からは同じこと。遊び人の慰みごとでしかない。掲句の「胸を打つ」は文字通りに労働のさなかの実感であり、「焦げ臭し」も麦畑にかがまなければ感じられない臭いだ。最近の農作業は機械化が進んでおり、もはやこうした麦刈りの実感もなくなっているはずだけれど、鹿児島本線の車窓から見える麦秋の風景に魅せられつつも思うのは、いつもこうしたことどもである。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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