May 2151998

 青あらし神童のその後は知らず

                           大串 章

あらし(青嵐)は、青葉の頃に吹き渡るやや強い南風のことで、夏嵐とも言う。子規の「夏嵐机上の白紙飛び尽す」が有名だ。中学時代に、教室で習った。嵐とはいっても、翳りのない明るい風である。そんな風のなかで、作者はかつて神童と呼ばれていた人のことを思い出している。ときに「どうしているかな」と気がかりな人ではあるが、地域を出ていった後の消息は絶えている。風に揺れる青葉のように、まぶしいほどの才能を持っていた人だ。が、かといって、今の作者はその人の消息を切実に知りたいと願っているわけでもないだろう。青葉のきらめきに少し酔ったように、かつての才子を懐しんでいるのである。「神童」とは、昔の地域共同体が生んだいわば神話的人物像である。だから、今は伝説のなかに生きていればそれでよいのだと、作者は思っている。「神童も二十歳過ぎればただの人」という意地悪な川柳(?)もあるけれど、この句の人は消息不明だけに、その意地悪からは免れている。それでよいと、やはり読者も作者にここで同感するのである。『山童記』(1984)所収。(清水哲男)




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