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May 1651998

 二人してしづかに泉にごしけり

                           川崎展宏

かな山の辺。ふと見つけた小さな泉の清冽さに魅かれて、手を浸してみたというところか。連れも誘われるようにして、手を漬けている。二人の手が水中で動くたびに、水底の細かい沙粒がゆるやかに舞い上がり、ほんの少しだけ泉は濁る。児戯に類した行為だが、しかし、二人はしばし水中の手を動かしつづけている。ところで、この連れは女性だろうか。ならば、なかなかに色っぽい。……などとすぐに気をまわすのは下衆のかんぐりというもので、作者はそういうことを言おうとしているのではあるまい。この何ほどのこともない戯れを通じて、自然を媒介にした共通の生命感を分け合っている束の間の喜びが、句の主眼であるからだ。このとき、二人の心は目の前の泉さながらに清冽に澄み、濁り、そして通い合っている。理屈抜きによい句だが、理屈を述べればそういうことだと思う。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


June 2761998

 泉辺の家消えさうな子を産んで

                           飯島晴子

島晴子はシンカーの名人だ。直球のスピードで来て、打者の手元ですっと沈む。この句で言えば、出だしの「泉辺の家」は幸福の象徴のように見える「けれん味のない直球」だが、つづいての「消えさうな」で、すっと沈んでいる。ここで、読者は一瞬戸惑う。そして、次の瞬間にはその鮮やかな沈みように感心する。「消えさうな」のは「家」でもあり「子」でもある。明暗の対比の妙。つまり作者の作句上のテーマは、常識的な情緒には決して流されないということだろう。見かけだけの明るさをうたっていたのでは、いつまでたっても俳句は文学的に生長していかない。人間の真実を深いところでとらえられない。そうした意識が作家の目を生長させた結果が、たとえばこの句に結実している。ひらたく言うと、飯島晴子のまなざしは常に意地が悪いとも言えるのである。天真爛漫など信じない目だ。もう一句。「幼子の肌着をかへる夏落葉」。これも相当に怖い作品だ。可愛いらしい幼子の周辺に、暗い翳がしのびよっている。『定本・蕨手』(1972)所収。(清水哲男)


May 1352001

 泉汲むや胸を離れし首飾

                           猪俣千代子

集『堆朱』に所収というが、「俳句」(2001年5月号)の特集「夏の山野」で知った。自註に「一の倉沢から土合へ下りる途中の泉であり、生き返るようであった」とある。と言われても、私には未験の山だから、具体的な光景は浮かんでこない。でも、これはどこの山道だってよいわけで、眼目は「胸を離れし」にある。こしゃくな若者だったころに、私もペンダントをちゃらちゃらさせていたことがあるので、句の概要には身体的に思い当たる。泉を汲むために身をかがめれば、自然に「首飾」は「胸」から垂れて落ちる。当たり前だ。そのことだけを詠んだ句ではあるけれど、どことなく色っぽいのは何故だろう。「胸」のせいもあるだろうが、多分にこの色気は「離れし」という言葉から来ているのだと思う。つまり単に「垂れた」のだが、作者はひっついていた物が「離れ」たと詠んでいる。すべての身体的装飾品は、身体のしかるべきところに位置を占めることで、装飾の役割を果たす。そして、それがしかるべき位置を占めているときには、さながら身体そのもののように感じられる。当人だけではなくて、他人にも、だ。それが、思いがけなくも垂れてしまった。すなわち、一瞬かつ微少ながらも、身体のバランスが崩れたのである。色気とは、そんな身体の微妙なバランスの崩れや揺れに感じられるものではあるまいか。このときに「離れ」とは、「胸」の汗による粘着をも想起させる言葉でもあるので、「垂れ」よりも余計にバランスを崩したことになる。(清水哲男)


May 1852005

 無職は無色に似て泉辺に影失う

                           原子公平

語は「泉」で夏。作者は出版社勤務(戦前は岩波書店、戦後は小学館)の長かった人だから、停年退職後の感慨だろう。「無職」と「無色」は語呂合わせ的発想だが、言われてみれば通じ合うものがある。社会通念としては、定年後の無職は常態であるとはいうものの、当人にしてみればいきなり社会の枠組みから外に出されたようなものなので、虚脱感や喪失感は大きい。ひいてはそれが己の存在感の稀薄さにもつながっていき、軽いめまいを覚えたときのように一瞬頭が白くなって、好天下「泉辺」にあるべきはずの自分の影すらも(見)失ってしまったと言うのである。むろんこれは心境の一種の比喩として詠まれてはいるのだろうが、しかし同時に、ある日あるときの実感でもあったろうと読める。作者とはだいぶ事情が違うのだけれど、私は二十代のときにたてつづけに三度失職した。いずれも会社都合によるものだったとはいえ、無職は無職なのであって、その頼りなさといったらなかった。若かったので「そのうちに何とかなるさ」と思う気持ちと、どんどん減ってゆく退職金に悲観的になってゆく気持ちとが絡み合い、それこそ頭が真っ白になってしまいそうで辛かった。社会や世間の枠組みから外れることが、どんなことなのかを思い知らされた者として掲句を読むと、何かひりひりと灼けつくような疼きを覚える。このときの作者には、停年まできちんと勤め上げたキャリアとは無関係に、無職の現実が重くのしかかっていたのだと思う。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


June 2262007

 思ひ出すには泉が大き過ぎる

                           加倉井秋を

入観というもの。俳句をつくる上でこんなに邪魔になるものはない。泉といえば即座に水底の砂を吹き出して湧き出てくる小さな泉を思ってしまう。先入観、即ち、先人の見出したロマンを自分の作品に用いるのは共通認識を見出すのがた易いからだ。共通認識を書くのは安堵感が得たいため。そうよね、と顔見合わせてうなずくためだ。そこに自己表現はあるのか。共通認識の何処が悪い、むしろそこにこそ俳句の庶民性、俳諧性が存するのだと、居直りとも逆切れとも取れる設定が、季題の本意という言い方。われら人間探求派は季題をテーマからは外したが、人間詠というテーマの背景としてはそれを援用している。寺山修司の「便所から青空見えて啄木忌」のように季題の本意を逆手に取って、古いロマンを嗤う方向もあるが、これも逆手に取ったというあざとさが臭う。中心に据えようと援用しようと逆手に取ろうと、「真実の泉」には届かない。目の前の泉そのものを書き取る。答はすぐそこにありそうなのだが、実は何万光年もの距離かもしれない。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


May 2252009

 たべのこすパセリのあをき祭かな

                           木下夕爾

七の連体形「あをき」は下五の「祭かな」にかからずパセリの方を形容する。この手法を用いた文体はひとつの「鋳型」として今日的な流行のひとつとなっている。もちろんこの文体は昔からあったもので、虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」も一例。日の当たっているのは枯野ではなくて遠山である。独特の手法だが、これも先人の誰かがこの形式に取り入れたものだろう。こういうかたちが流行っているのは花鳥諷詠全盛の中でのバリエーションを個々の俳人が意図するからだろう。この手法を用いれば、掛かるようにみせて掛からない「違和感」やその逆に、連体形がそのまま下五に掛かる「正攻法」も含めて手持ちの「球種」が豊富になる。今を旬の俳人たちの中でも岸本尚毅「桜餅置けばなくなる屏風かな」、大木あまり「単帯ゆるんできたる夜潮かな」、石田郷子「音ひとつ立ててをりたる泉かな」らは、この手法を自己の作風の特徴のひとつとしている。夕爾は1965年50歳で早世。皿の上のパセリの青を起点に祭の賑わいが拡がる。映像的な作品である。『木下夕爾の俳句』(1991)所収。(今井 聖)


May 0852012

 銀河系語る泉にたとえつつ

                           神野紗希

人的な好みもあろうが、専門分野を簡潔に説明でき、明快な比喩を扱える人に出会うと、憧れと尊敬でぽーっとなってしまう。広辞苑で「銀河系」をひくと「太陽を含む二千億個の恒星とガスや塵などの星間物質から成る直径約十五万光年の天体」とあり、その数字に圧倒される。やさしく分りやすい信条の新明解国語辞典でも広辞苑の説明に追加して「肉眼で見える天体の大部分がこれに含まれる」とあって、そこからは「だからもうそこらじゅう全部銀河系だってことなんですっ」という開き直ったような困惑ぶりが見てとれる。数字が大きければ大きいほど、現実から遠ざかる。人間が瞬時に把握できる数は7という説があるが、それをはるかに超えた千億個などという途方もないものは数という親しみやすい存在から逸脱している。掲句のこんこんと湧く泉に例えられたことで、堅苦しく数字がひしめいていた銀河系が、途端に瑞々しい空間へと変貌し、たっぷりとした宇宙に漂う心地となる。〈起立礼着席青葉風過ぎた〉〈寂しいと言い私を蔦にせよ〉『光まみれの蜂』(2012)所収。(土肥あき子)


November 25112014

 枯野には枯野の音の雨が降る

                           松川洋酔

れることの定義を広辞苑ではどう表現しているのだろうとなにげなく開いてみると、「水気がなくなって機能が弱り死ぬ意。死んでひからびる。若さ、豊かさ、うるおいなどがなくなる。」など、なんだか身につまされて、調べたことを後悔する。枯れ果てた草木に追い打ちをかけるような雨を思い、気分が沈む。しかし、気を取り直して「枯れる」の項を読み続けると、最後の最後にパンドラの箱に希望が取り残されていたように「長い経験の結果派手さが消え、かえって深い味を持つようになる」とあった。枯野から放たれる雨音は、思いのほか軽やかで、明るい音色に包まれていたのだ。そして、街には街の音、海には海の音の雨が降るのだと静かに気づかされる。〈裸火の潤みし雨の酉の市〉〈千年の泉のつくる水ゑくぼ〉〈湯たんぽの火傷の痕も昭和かな〉『水ゑくぼ』(2014)所収。(土肥あき子)




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