May 1651998

 二人してしづかに泉にごしけり

                           川崎展宏

かな山の辺。ふと見つけた小さな泉の清冽さに魅かれて、手を浸してみたというところか。連れも誘われるようにして、手を漬けている。二人の手が水中で動くたびに、水底の細かい沙粒がゆるやかに舞い上がり、ほんの少しだけ泉は濁る。児戯に類した行為だが、しかし、二人はしばし水中の手を動かしつづけている。ところで、この連れは女性だろうか。ならば、なかなかに色っぽい。……などとすぐに気をまわすのは下衆のかんぐりというもので、作者はそういうことを言おうとしているのではあるまい。この何ほどのこともない戯れを通じて、自然を媒介にした共通の生命感を分け合っている束の間の喜びが、句の主眼であるからだ。このとき、二人の心は目の前の泉さながらに清冽に澄み、濁り、そして通い合っている。理屈抜きによい句だが、理屈を述べればそういうことだと思う。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)




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